ニジガクアニメ4話memo
未知なるミチを見て
見るアニメ全てが輝いている2020秋クール。その中でも特に僕が熱心になっているアニメは「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」。最新話の4話で従来シリーズのスクールアイドルの在り方から大きく舵を切り、ソロアイドルとして歩む方針が示された。と同時に個別回に入りだしたので、ここらでそろそろ感想というか、気づいたことでもちょこちょこ書き留めておこうかな、なんて思ってブログを開いた。
今までのラブライブは放送されているから見るか、ぐらいの感覚で視聴していたので正直ここまでラブライブというコンテンツに熱中している自分に驚いている。既に虹ヶ咲関連のCDとBDを揃えてしまった*1。最終話までこの熱のままいけば、当然アニメのBDを買うことにもなるんだろう。
この手の感想はインターネットのそこかしこで散見され、僕と同じように虹ヶ咲から急にこのコンテンツに関心を示しだした人も多いようだ。明らかに、今までと違った層をも巻き込む方向性のアニメとなっている。
4話のmemo
4話は今回の主役 愛ちゃんが、3話のせつ菜ちゃんのライブに居合わせたシーンから始まる。愛ちゃんは、観客の前で歌うせつ菜ちゃんよりも、その歌を見て湧くみんなの姿にときめいていた。
4話を最後まで見ると、このセリフが愛ちゃんという人間を端的に表していることが分かる。楽しいことが好き、それは自分が楽しむこともそうであるし、周囲の人々に楽しんでもらうことも好きなのだ。アバンからライブまで、愛ちゃんのこの”楽しいことが好き”という性質は一貫して描かれており、そのことについて自身が気づくまでの過程がこの4話だった。
まず、愛ちゃんという人間は一見、衝動に突き動かされるまま自らの欲求に従って生きる動物的な人物に見える*2。告白すると、僕は4話中盤に至るまで愛ちゃんにそのような印象を抱いていた。これは愛ちゃんの外見がいわゆるギャル系のキャラクター像に近く、そこから記号的に判断してしまった結果だろう。
しかし実際には違った。愛ちゃんは、目の前に課題があったとして、それについて”思考”し正解にたどり着くプロセスを踏んでいることが描写されている。
定められた法則に従って用意された1つの正解を求める勉強や、決められたルールの中でより多くの得点を競うスポーツが得意なことから、愛ちゃんが思考をする人間なことが読み取れる。
法則やルールといった枠組みを与えられ、問題を解く・得点を取る等の決まった目標に向かってアプローチすることが得意な愛ちゃんが、4話でぶつかった「自分の目指すスクールアイドル像を見つける」問題はルールも正解もない、愛ちゃんにとって全く新しい問題だった。
かすみんが言うようにスクールアイドルに正解はないし*3、ルールなんてものはもちろん存在しない。何もかも自由で、そして、ソロアイドルを目指すことは孤独でもあった。
だからこそ「みんなと一緒に楽しむスクールアイドル」なんていう単純な答えにたどり着くのに時間がかかってしまったのだろう。そこに至るまでの道が法則やルールといったもので舗装されておらず、愛ちゃんにとっては初めてのものだったからだ。でも、そんな単純な結論で、それは既に自分が今まで感じていたもの(楽しいことが好きということ)だったからこそ、エマちゃんとの短い会話の中で導きだせたと僕は思う。
余談ですけど、愛ちゃんのイメージカラー超オレンジと太陽に繋がりはあるんですかね。この太陽を掴む仕草は、ラブライブ文脈の方で何か対比の意味があるようなことをちょろっと見たのですが、あいにくラブライブに疎くて分からないんですね。
雑記
愛ちゃんとみんなを照らす太陽を重ねるのに抵抗があったのは他にも理由があって、太陽って空高くからみんなを照らす存在で、決してみんなと対等な存在ではない。対して愛ちゃんは、みんなと対等な関係を築いて(スポーツのチームメイトなどがそうだろう)、そして共に楽しむスタンスを目指していると思う。それはライブのシーンからも読める感じがして、1話~3話のライブは高所から観客を見下ろすものだったが*4、4話のライブは公園にいた観客と同じ目線の高さでパフォーマンスをし、観客とライブを作り上げているよう意図的に描かれているように感じた。まだ4人しかライブをやっていないので、何とも言えないが、この読みが合っているならばエマちゃん、あとは璃奈ちゃんも観客と同じ目線でのパフォーマスになるかもしれない*5。
なんだか色んなキャラが可愛くて、そのことについてダラダラと喋りたい気持ちもある。あまりにも皆が可愛くて個別に書けそうなぐらい。そんな萌えアニメとしても、優秀な虹ヶ咲さんはとてもアニメとして好き。虹ヶ咲さんはやはり個の尊重が根底にあって、だからこそソロアイドルの道を選んだ。今回の話はさらにそこから、自分の目指すべきアイドル像を見つける自己確立の話でもあったのではないだろうか。自己確立といえばまっさきに思い浮かぶのは放課後のプレアデスで、あちらは過去の肯定から自己肯定を経ての自己確立という風に大雑把に見ていたが、虹ヶ咲さんは異なるアプローチだった。何にしろ、こういったテーマに弱いオタクなのかもしれない。個の尊重がテーマにあるならば、その個を確立する話は避けて通れないから。また、このアニメは”衝動”を大切にしている部分があって、それは個の尊重と近い部分にあると感じている。個の尊重≒衝動の肯定というよりも、衝動の肯定→個の尊重という形になるのだろうか。自分でもよくまとまっていない話なので、たぶん他の人には伝わっていないと思う。
また、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の在り方もだいぶ好みらしくて、3話のラブライブの否定が効いているみたい。今までのラブライブは、のっぴきならぬ状況とは言え、ラブライブ(つまり競技会)で1位を取らねばならない強迫的な雰囲気があった。これは多くのスポ根に見られて、順位付けされその中で頂点を取ることこそが正しい価値観が苦手な僕にとって反りの合わない部分だった。しかし虹ヶ咲は、そんなことはどうでもよく、自分達がやりたいことをやり(=衝動に身を任せる)そして楽しむことが正解だと言うのだ。ラブライブで1位を目指さなくてもよい、自分がスクールアイドルをやりたいのであれば、ラブライブなんて出なくてよいのだと。
高校の時にやってた部活が、大会で結果なんて残せないけど身内でワイワイやって楽しかったからおっけー!って雰囲気で、僕はそれが心地よかったんですよね。根本的に僕のスポーツや部活に対するスタンスがそんなんだから、虹ヶ咲さんは肌にあってるのかもしれない
— ろっぷる (@Ro_Puru) 2020年10月17日
まさしくこれだ。
とはいえ、各自ソロアイドルを目指し始めたことにより今後ラブライブが出ないとは言い切れないので*6、今後の展開次第ですっ転んだときの受け身の準備だけはしておく。
*1:ここら辺はアニメではなく楽曲に惹かれた結果なので、最終話まで待つ必要がなかった
*2:これは僕だけだろうか
*3:というか、かすみんがこうも虹ヶ咲アニメの本質っぽいことを言い出すとは思わなかった
*4:1話は階段の上から歩夢ちゃんが、2話ではわざわざ塀に登ったかすみんが、3話は校舎の上からせつ菜ちゃんが
*5:前者はみんなと輪になって踊るアイドル、後者はファンの人と気持ちを繋げるアイドル
*6:せつ菜ちゃんを同好会に迎え入れることにより、グループ全体のパフォーマンスが落ちることでラブライブに出られるレベルに達し得ないとしても、せつ菜ちゃんがスクールアイドルをやりたいのならば迎え入れるという風に読んでいたからだ。まあ、3話時点でソロアイドルの話は出ていなかったし、こういう読み方も無理がないと言えるだろうが