釣り堀

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ニジガクアニメ8話memo「しずく、モノクローム」

 1月に入り寒さも本格的になってきた今日このごろ。とっくに年も明け、冬アニメが続々とスタートを切り出している。そんな中、秋アニメである虹ヶ咲について少し考えがまとまったので、またこうしてブログに文章を残そうと思う。今回は8話「しずく、モノクローム」について書く。

 この話はなんだか難しく、ロジカルにキャラの動きを見ようとするのに苦労してきた。だが、始めに仮定を取り入れることである程度 納得がいく読み方を見つけられた。仮定を置くというのは、わたしの主観(願望)が入り込むことになり、ロジカルな見方かというとそうではないのだが、これが今のわたしの精一杯…ということで。 

1. 8話を経たしずくの変化

1.1 8話を見る際の仮定

 8話でしずくに生じた変化が何なのか、これを言葉にする困難さがそのまま8話の難しさに繋がっていたと思う。かすみとの会話を経て”吹っ切れた”のは、素直に見れば分かる事実だろう。”吹っ切れた”と言うとわたしの読み方と若干ズレがあるので、”認識が変化した”と言い換えさせていただきたい。おお、なんかもう主観バリバリな流れになってきたぞ。

 

 さて、まずしずくは一体何に悩んでいたのか。これを端的に言えば他人から嫌われたくない”の一言に尽きる。「本当の私」を出すことで、他人から変に思われるのを極端に怯えていたしずく。彼女は役者・スクールアイドルという存在になる上で求められる「本当の私」を表出させることから逃避していた。嫌われたくないけど表現者になりたいというジレンマに苦しめられていたわけだ。

 このジレンマを打破するためしずくが得た回答を先に述べると、”本当の自分を出しても好いてくれる人がいる”になるだろう。この結論に達することができたのは、かすみとの会話がきかっけだ。

 ”他人から嫌われたくない”人間が”本当の自分を出しても好いてくれる人がいる”という事実を受け入れ問題解決に至るにあたり、上で言っていた仮定を置く必要がある。内容は

仮定:しずくは他者全員から嫌われることに耐えられないが、少数自分を好きでいてくれる人がいるならば大丈夫な人間

というもの。この曖昧さが8話の難解さに拍車をかける原因だった、と思っている。 それでは本題に入ろう。

 

1.2 しずくにとっての「他人」

 しずくが怯えていたことは、上述ように他人から嫌われることだ。なのだが、ここで言う「他人」について考える。しずくは8話アバンのインタビューで「皆さんに愛されるスクールアイドルを演じたい」と発言しており、この「皆さん」こそがさっきから「他人」と表現してきた存在だ。改めて確認することでもないだろう、と思うかもしれない。しかし、ここがわたしにとってのキーなのだ。

 この「皆さん」なる存在、特定個人を指しているわけでなく、漠然と己の周囲にいる人間全体を指している。既にある言葉をお借りすれば、「皆さん」=「一般化された他者」ということになるのだろう*1。他者を一般化し、そこからの期待に応える演技をする努力を今までしずくはしてきたわけだ。少し話は飛躍するが、つまり、しずくの中にいる「他人」とは「一般化された他者」だったわけで、「個人」がいなかったことになる。

 これはどういうことかというと、「他人」から嫌われるor好かれるという事象は、しずくにとって0 or 1でしかなくなる。なぜなら、しずくの中に存在する「他人」は「一般化された他者」のみだから。この一般化された存在(コミュニティとか、社会と呼ばれるもの?)から嫌われることは、己以外の全てから否定されることに繋がる。…分かりにくいな。もっと端的に表現する努力をすると、しずくの認識する「他人」は「一般化された他者」というただ一名しかいなかった。この一名に嫌われることは、すなわち全員から嫌われることになり、上で書いた仮定を適用すると、しずくはこのことに耐えられない。

まとめ:しずくの認識する他者とは「一般化された他者」という、1つ”の存在のことだった

 

1.3 実際に存在した「他人」

 では、かすみとの会話を経て、どのようにしずくの認識が変化したか書きたい。もうここまでくれば、そんなに難しい話でもないはず。

 かすみがしずくに対して行ったことは「一般化された他者」の解体だろう*2。ミクロな視点を与えるとも言えるかもしれない。「他人」とは「個人」の集合なんだよ、とかすみは言っている*3。こんなストレートな物言いではないものの、「もしかしたら、しずこのこと好きじゃないって言う人もいるかもしれないけど、私は桜坂しずくのことが大好きだから!」とは、嫌われるor好かれるの事象は0 or 1でないと否定してくれています。嫌ってくる人もいれば好いてくれる人もいる、わたしたちにとって当たり前かもしれない認識を、1.2で書いた通りしずくは持っていなかった。

 この認識をしずくが内在化し、かすみがしずくを好いているという事実があれば、仮定を適用することでしずくの問題は解決する。大丈夫な状態になる。仮定で書いた”少数”にかすみが入るわけだ。かなり強い言い方をすると、「本当の私」を出してもかすみが自分を好いてくれるから問題ない、というわけ(他意はないです)。

 かくして、しずくはジレンマを克服し、「本当の私」を表出させることに恐怖を覚えなくなるという流れ。

まとめ:しずくの認識する「他人」を、「個人」の集合とすることで、嫌ってくる人もいれば、好いてくれる人もいるという事実を受け入れさせる

 

 今までのしずくの認識では、他人からの評価は0 or 1と極端なものになり、しずくはこれが0になることを忌避していた。しかし、今回得られた認識によると、どうやら他人からの評価は0~1の間を連続に変化するものらしい。しかも、かすみの存在によって0にはなり得ない。ここで仮定を極端に言い換えると、「他人からの評価が0でなければよい」となり、これは既に達成されている。だからしずくの問題は解決できた。

 

2. 自分を演じるということ

 これからは、もう少し踏み入ってわたしの主観がより強く混じった読み方をしていく。その上で、人間の人格は、他者に晒された時点で演技をしているという前提を置いて話を進めてみる。つまり、人間は家族・友人・恋人・勤め先の人間etc…など相対した者に応じて適切な役を演じているということだ*4

 この前提を踏まえると、しずくの言う「本当の私」とは「本当に演じたい私」に換言でき、これが劇中の黒いしずくに対応する。対して、「一般化された他者」からの期待に応えた役*5にあたる「理想のヒロイン」は劇中の白いしずくになる。

 これまで「理想のヒロイン」を演じてきたしずくだが、「他人」から嫌われるのを恐れるあまり「本当に演じたい自分」から目を逸らしてきた。しかし、「理想のヒロイン」が偽りのしずくだったかというと、そうでもない。既に「一般化された他者」からの期待は内在化され、「理想のヒロイン」はしずくの演じる役の1つになっていたのだろう。璃奈の言う「今のしずくちゃんも、しずくちゃんだよ」とはこのことだ。

 劇中でしずくが白黒二人いたのもこのことによる。「本当に演じたい私」を隠す行為を、仮面を被るという描写に置き換えず、二人のしずくを登場させたのはどちらかが嘘と言っているわけではないからだ。二人のしずくは平等で、どちらかが偽りの存在なわけではない。ただ、「本当に演じたい私」は表に出す場所がなかっただけ。最後に二人のしずくが混ざり合い、衣装の色が変化し白黒混濁したデザインになったのは、「本当に演じたい私」を表現したとしても、既に内在化された「理想のヒロイン」である私を捨てられないということ。たぶん、そういうことなんだと思う。

 

3. 8話を踏まえて見る「無敵級*ビリーバー」

 TVアニメに先行して発売された「無敵級*ビリーバー」。ジャケットイラストはもちろん、付属のBDもTVアニメに沿ったものになっている。わたしは「無敵級*ビリーバー」がアニメ虹ヶ咲を見るにあたり無視できるものではないと考えており、事あるごとに引用したくなる。

 

 8話と「無敵級*ビリーバー」を対応させる流れは既にインターネット上で散見される。ここで、わたしなりの考えを述べるなら、1.1で置いた仮定を再度使う。

仮定:しずくは他者全員から嫌われることに耐えられないが、少数自分を好きでいてくれる人がいるならば大丈夫な人間

 これ、”少数”の部分が「無敵級*ビリーバー」では”私自身”になるのだ。私が私を好きでいるから大丈夫、他人の介在する余地がないまさに”無敵級”だ。

 

 「無敵級*ビリーバー」、曲もさることながら特典BDのPVがめっっっっちゃくちゃ可愛いのでおすすめしたい。かすみ好きなら5000円払っても全く痛くない内容だと思う。ここまで可愛いを突き詰めたアニメーションはなかなか見たこと無い、というか、わたし的にはトップオブトップだ(ここまで絶賛して大丈夫か?)。

 

 どこかの先生が言っていた、「自分を優しく見つめる自分」がいれば、周りからの期待に応えられずとも度の過ぎた自虐思考にならないという言説をそのまま実行しているかすみ。すごいやつだぜ。

 

4. 雑感

 白状します。逃げました!!!!!!!!!!!8話で描かれたこと自体はすごく受け取りやすいと思うんだけど、それをロジカルに説明することができなかった。”ありのままの自分を受け入れる”という帰結が、綺麗で僕好みだったからそういう読み方をしたかったんだけど、いい感じに説明できなくて今回のみたいになってしまった。こっちの読み方をすると、かすみとしずくの会話もパンチが重くなるんですけど。

 それでも一応自分を納得させられるラインを見つけられたので今回の記事を書いているわけですが。”ありのままの自分を受け入れる”という読み方は他のオタクに託しました。それか、もっと今後自分自身で気づけるのを待ちます。うお~~~、8話めちゃくちゃ好きな話なだけに、こういう曲解とか主観の混入あんまりしたくなかったけど。

 説明も難しくて、頭の中でまとまりきってないのもあり、今回もまた他人に説明するというより備忘録的な文章の残し方になってしまった。不完全燃焼感残る記事だけど、これが今のわたしには精一杯…。

*1:聞きかじりの言葉を使っているので用法が間違っていたらごめんなさい!

*2:”解体”という語以外に適切な言葉があてられていそうな気がするけど、まあいいでしょう

*3:ごめんなさい、曲解しました

*4:誰に対しても同様な接し方をする人間はあまりいないはず

*5:嫌われないための役