釣り堀

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『映画大好きポンポさん』ファーストインプレッション と 少し『劇場版 少女 歌劇 レヴュースタァライト』

 今日はTLで評判のよかったポンポさんとスタァライトを見てきた。ポンポさんに関してはTLで名前を見かけるまで存在を知らなかったし、スタァライトの方は当初見るつもりがなかったので本当に他人からの影響で劇場まで足を運んだ次第だ。

 結論、影響されてよかった。完全にアニメサイコ~~~~!!!の気分になってます、今。同時に自分のアンテナの低さとアニメを見る目のなさにがっかりしたり。

 

 この2作品を見た瞬間から色々アウトプットしたい感情がフツフツと湧いてきて、こうして久しぶりにブログを開いた。Twitterでベラベラと喋るのも憚られるし、ふせったーのような便利なサービスもあるけど後で見返すにはブログの方が便利かなと思って。

  こんな具合で映画について順を追って感想を書くことが難しく、この記事の中身としては要素要素をかいつまんで自分の考えを添えていくって流れになる。この作品はどういったものなのか、みたいな作品自体に踏み込んだモノまで書けない。僕の脳内をひけらかす自分語りが主な内容だ。

 

 

  

映画大好きポンポさん

  この映画は大きく前半・後半で分けられるものだと思う。前半は映画作りとは?について、後半はパンフレットにもある通り一歩踏み出せない人たちへの応援歌。前半は主にクリエイター側に立った話になるのだけれど、その際にポンポさんから発せられる言葉について書きたいこと・考えていたことがあって、

・大衆ではなく、誰かに向けた作品の方がよい

・魅力的な人物を魅力的に見せることができればいい

ここらへん。記憶がおぼろげなので多少のニュアンスの違いがあるかもしれないけど、概ねこんなことを言っていたはず。

 

 まず1つ目。これは本当にそうだと消費者の僕は思う。月並みな主張だとしてもこうハッキリ言ってくれる作品は嬉しい。コルベット監督も言っていた通り、狭い範囲に向けた作品というのは輪郭がはっきりして受け手の奥深くまで突き刺さるものだと思う。ただそれが必ずしも良いものかというと難しくて、ポンポさんたちが撮っているのは商業映画。お金を稼げるかどうかが価値観の中でかなり高いところにある。それを抜きにしても、”創造物”として多くの人にウケる方が良いのか、それともニッチな層により響いた方が良いのか、これは決着のつかない議論だろう。だとしても、ポンポさんは大衆よりも特定の範囲へ向けた作品を作りたいと言ってくれた。それが僕には嬉しかった。そしてジーンもまたこの作品の主張に則っている。『MEISTER』は特定のとてもとても狭い層、ポンポさんただ一人に向けて作られた映画だ。「誰かに向けた作品作り」を極限まで尖らせて体現したからこそ、『MEISTER』はポンポさんに届いた…のかな*1。あと、内容的にB級映画ばかりを撮るポンポさんや、『MEISTER』が劇中の世界で評価されていたのはこの作品の優しい嘘なんだろうな。

 作品の話になってしまったけれど、これは消費者――僕らにとっても間違いない。自分の深いところまで食い込む作品が見たいという願い。いやむしろ金銭面のことなど関係なく、何のしがらみもなしに作品を受容できるからこそ言えるワガママな望みなのかもしれない。より楽しめる作品を見たいのは誰しもそうだ。作品を観る側の人間からすれば先程の話(どんな作品が優れているのか)の答えは明白だ。自分にどれだけ深くささるか、これだけが絶対の指標。ポンポさんは商業の人間でありながら、対象が狭くとも僕らに深く刺さる作品を撮りたいと言ってくれた。だから僕は嬉しかった。いわば僕らにとっての理想のクリエイターだったのかもしれない。『映画大好きポンポさん』の表現していたものからズレた話にはなっていると思う。だけども、これが僕の感じた正直な感想だ。

 話が逸れるけれど、「ガンマ線で突然変異した巨大アリクイに美女がベロベロ舐め回される」映画、絶対面白いでしょ。

 

 次に2つ目。これは『映画大好きポンポさん』ではなく、ポンポさん自身の信条なんだけど、これとは食い違いが起きた。僕はキャラクターよりも作品そのものが言っている理念に共感できるか、感銘を受けられるかに重きを置いているのであまりこんな価値観は持っていない*2。あとは物語の構造が綺麗かとか。あくまでもキャラクターは作品の1パーツでしかないと僕は考えてしまいがちで。でもポンポさんは違うらしい。彼女は人物を軸に、しかも現実の女優を輝かせるために作品を生み出すこともあるらしい。僕の嗜好とポンポさんのスタンスの違いから、彼女が本当に特定の層へ向けた映画を撮っているんだなと感じられた。ターゲットの外側にいるからこそ、ポンポさんの尖りが分かるんだと思った。

 で、面白いと思ったのが女優に合わせて作品を作るっていう順番。これは明白に現実を切り取って作られる実写映画特有の手順だ。アニメでは起こり得ないはず、声優からアニメを作るなんて*3。どちらも映像があって音があって平面上のスクリーンに映し出されるコンテンツ。なんとなく同じ箱に入れがちだったアニメと実写映画が明確に違うと感じさせられた。僕らにお出しされる映像作品そのものは本質的にそう違うものではないかもしれないけど、その作製過程は全く異なるのだ。

 フォロワーさんのブログを読んで気づいたこともあって。実写映画は現実を切り取って作品とするものなので、完全に作りたいものをコントロールできるものではない。対してアニメはクリエイターの思いついたことを全て表現しきることができるというもの。曲解にならないか怯えつつもう少し踏み込んだこと言おうとすれば、実写映画は自分の頭の中以上のものを撮れる可能性があることになるのかな。まさしくアクシデントから生まれたシーンなんかそう。製作者の考えを100%表現できるとは限らないけど、それ以上のものを作れるポテンシャルもあるというか。どちらが好きとかそういう話ではないが、上に挙げた後者のセリフからアニメと実写映画の違いみたいのをぼんやりと考えていた。

nun-tya-ku.hatenablog.com

 

 

 映画の後半はアランが主要人物に加わってくる。パンフレットを読んで知ったのだけれど、アランってオリジナルキャラクターなんですね。これはちょっと腑に落ちたところかもしれない。映画『映画大好きポンポさん』をこうやって綺麗に真っ二つに分けられるところというか、ネガティブな意味は一切無いけど映画の中に不連続さを感じる部分があって。それが応援歌の箇所だったんだけど。それで、後半のメッセージ性の強いところの核にいるアランそのものが追加要素ならその感覚にも納得いくなって。もう一度書くけど、映画そのものに違和感があったとか、不自然に感じたとか、話の軸がブレてるとかそういうマイナスなモノを感じたわけではない。「あっこっちが主題なのかな」って鑑賞中に認識を更新したポイントがあり、それが本来いないはずだったアランの存在だったっていうだけの話。

 

 この映画でもう一つ言われていた「切り取る」の部分。こちらは正直まだよく分かってない。映画作りという意味では、仲間と意見を出し合いながら撮った愛着を抱いているであろうシーンを編集作業で削除するところが象徴的に描かれているので分かりやすいんだけども。過去の幸福を「切り取って」生きてきたジーンだからこそ良い映画を創造できるっていうのがあまり飲み込めていない。自分だけの世界を構築できるという説明はあったけど、そんな表面的な話ではないだろうって手応えだけが残っていてなんとも消化不良だ。また観るときに確認したい事項の1つ。

 

 他にも鑑賞中に考えていたことがあった気がするけど、最初に書いたように記憶力が悪いので忘れてしまった。そんな状態で言うのもアレだけど、ポンポさんとてもよかったのでまた見たい。

 

 

劇場版 少女 歌劇 レヴュースタァライト

 この映画ことは正直全く分からなかった。「前へ進め!」これだけのことを苛烈な方法で表現したものだってことだけは分かったんだけど……。端的に言えば卒業、門出の話。TV版の方も全然噛み砕けていないし、この状態で観たのが間違いだったのかもしれない。けれども、何もよく分からなかったけど最高に楽しい体験をできた。この”楽しい”の原因がなんだったのか言語化したいので早く円盤を買って何回も見返したいね。

 前へ進むためにわだかまりを解消し、囚われていた過去を焼却する。こう受け取ったんだけど、ここはそう間違ってないと思う。象徴的なのは東京タワーの破壊。劇中では燃やされ、EDでは折られた東京タワーくん。ひかりとの決別もそうだ。とにかく前へ進むべきことを示している。狩りのレビューはまた少し違った含みもありそうだけど、セクションの最初に書いたとおりよく分かってない。前へ進む際の心得的なメッセージになるのだろうか。トップを目指せっていう。

 

 話の内容がよく分からなかったので僕が大好きな女の子「大場なな」について感想を述べることしかできない。とにかく、とにかくかっこよくて可愛かった!新国立第一歌劇団(で合ってたっけ?)へ向かう地下鉄が皆殺しのレヴューの舞台に変わるところ。梶浦さんが作曲したような激しい劇伴が流れ出して、記憶にある限りTV版ではこういうサウンドがなかったので何が始まるの!?ってはちゃめちゃに興奮してた。そこで現れる機械機械した照明や音響たち。舞台というよりライブ会場。そこで足でリズムをとる大場ななちゃんが最高にかっこよかった。大場ななちゃんの魅力はやっぱり足にあるのかもしれないですね。いや、全身良いんですが。

 やっぱりななちゃんは擦れた言動にこそ真価があると思う。キャラクターの魅力っていうのはギャップの大きさそものに直結すると思っていて、これに関してななちゃんはかなりギャップの大きいキャラだ。みんなに好かれる優しい子。いつも笑顔で、みんなが大好きで。普段のななちゃんの言動だけじゃない。6話までのスタァライトを見ていて、こんな激しいキャラが出てくるんだ!っていう驚きも加わって7話で生まれるななちゃんの高低差はひどく僕の心を掴んだ。劇場版ではその高低差がさらに大きくなったように思える。さらに尖ったキャラ造形になってる。これはななちゃんに限定せず全員に言えることだと思うけど、劇場版はそれぞれのキャラがさらにさらに尖った造形になっていて、9人の中に推しがいるオタクには刺さるモノになっていた。ポンポさんの話ではないが。

 皆殺しのレヴューでみんなをバッサバッサ倒していく姿はやはり爽快。大葉ななちゃん、本当に強い。劇伴とキレッキレの動きが噛み合わさって最高の映像になってた。ななちゃんのオタクで本当に良かった。正直、あのシーンを見られただけで劇場まで足を運んだかいがあった。

 狩りのレビューでも足が印象に残る。純那ちゃんに切腹用の刀を差し出すところ。失望の具合が伝わってきて、あんなに優しいななちゃんがこんな態度をとるなんて……ここもまたギャップ。また、軍服も似合っていて。

 ななちゃんはこの映画ではみんなの背中を押す役割を担っていてくれたのかな?断言はできないけれど。舞台創造科にも属するななちゃんはある意味 舞台の外側にいる人物なので、俳優科の彼女たちが舞台少女として死んでいるのが客観的に分かっていたのか?TV版の再演でも舞台を作る側に回っていたり、やっぱりこの子の立ち位置っていうのは特殊だ。舞台少女でありながら、観客でもあるというか。

 EDで王立演劇学院(で合ってたよね?)に進学しているのを見て嬉しくなってしまった。ななちゃんの本当の実力が垣間見えるのと同時に、99期生のみんなと物理的に離れることができたななちゃん。純那ちゃんへの依存にも近い好意を焼却(振り切る?)して前へ進めたんだね。

 

 大半は大場ななちゃんへの文章になってしまたけど、「前へ進め!」これだけのメッセージを激烈な手段で示した劇場版スタァライト、本当に爽快だった。もう何回も観たい。スタァライトに真剣なオタクに、なりたいな……。

 

 

 1日にこんないい映画を2本も観てしまって満足する日だった。

*1:2回目見るときに確認しておきたい

*2:スタァライトの感想を書いて気づいだんですけど、やっぱりこれ嘘です。僕は魅力的なキャラクターがいると作品に加点をするオタクです

*3:あとから思い出したんですけど『ミス・モノクローム』がありましたね