釣り堀

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虹ヶ咲2期4話『アイ Love Triangle』感想 - 自分を信じ抜く話かもしれない

 昨日は暑いぐらいだったのに今日は少し寒い。寒暖差で体調を崩しそうな季節の変わり目。昨日は起きたらあまりにいい天気だったので車にガソリンを入れ、山道をグルグルとドライブしていました。

 さて、昨晩放送された虹ヶ咲2期4話。美里さんが抱く心情の移ろいと、スクールアイドル愛の在り方が重要なんだな~と思いつつ、美里さんの感情があまり分からなくて困っちゃいました。置かれた環境が僕と違いすぎて想像もできない領域だったので…。

 

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1. 誰も傷つけない人はいない

「誰も傷つけないなんて、そんなこと出来る人いないわ」(果林)

 人が人間社会の中で生き、相互に繋がりを育むなら、自分が望まぬ方向に物事が進むことは当然のように起こる。他人と自分は置かれた環境も、持っている価値観も、何もかも違うから。

 1期2話のように、人間同士の距離が近づきすぎたため生まれる軋轢は分かりやすい。そうでなくとも人間は他者に影響を与える。そこには相互作用すら必要ないのかもしれない。テレビを見て、画面に映る彼ら彼女らから何かを受け取ることもあり、これは一方的な関係だ。

 表現者であるスクールアイドルは、自分が御しきれる量を遥かに超えた繋がりを抱えている。その繋がりの先の全てへ思い通りの影響を与えるなんて願いは絵空事に等しい。

 

「それでも、太陽みたいにみんなを照らせる笑顔が、あなたにはあるでしょ」(果林)

 続くこの言葉を聞いた愛は何を思ったのだろう。

①自分のパフォーマンスへの信頼
②現実の受容

 たぶん、①なんだと思う。結果論で言えばこれが正解だった。自分が楽しいと思えるパフォーマンスを、最高の自分を見せつけることで大きな影響を与える。愛はそういうライブを目指してきたし、結果的にはうまくいった。

 これは何を意味するのだろう。アニガサキは自分のなりたい自分を信じろと言っているのか。今までの僕の読み方に従うなら「そう」と思う。今までだって散々 自己実現の綺麗な部分だけを見て、現実に即したら瓦解するような夢物語像をこのアニメに押し付けてきた。だったらそれを貫くのが筋だろう。ならば、僕から見た2期4話は、「自分のなりたい自分を信じて己を高め続けるなら、物事は自らの望む方向へ運んでいく」になる*1

 この記事ではこれだけ言っておきたかった。僕の見方が大きな矛盾を孕んでいることに気づくまで、僕は僕が見たいアニガサキを見ていく。

 

 ②は少し穿った見方になる。自分を観測する人間の一人にまで美里さんを還元してしまうものだ。自分は自分の信じたライブをする、それに美里さんがついてこられるかどうかは分からないという姿勢。美里さんは既に特別な人から外れ、愛は自分を見て楽しんでくれる者だけを連れて自己実現を叶えていく*2

 閉じた答えだと思う。「誰も傷つけない人間はいない」現実を受け入れ、自分の手が届かない範囲についての言及をやめる。僕らの世界ならその生き方が正しいものだと思う。だけど、物語の世界に生きる愛の答えとしてはあまりに寂しい。

 

 実はこの答えは作中で否定されている。そもそも、そんな在り方は今まで築いてきた愛のキャラクターに反する。手が届かなくても、手を伸ばす①の姿勢こそが愛だと僕は思う。自分の選択した照らせる範囲だけを照らすのは太陽なんかじゃない。

 自覚か無自覚か関係なく、太陽は周囲の全てを照らしてしまう。時にはそれに灼かれてしまう人もいる。「それでも」、愛は人を笑顔にするため輝き続ける。ライブを見てもらえれば、自分の伝えたいことをちゃんと伝えられると信じて。

 また、同好会のライブはスクフェスの時よりもさらに開かれている。オンラインライブのことだ。自分の影響の及ぶ範囲をさらにさらに広く・遠くすることで人々を笑顔にする。(恐らく)ライブへ足を運んだことがなく、その気力もない美里さんへ手を伸ばすために。そして、未だ自分に興味の薄い(遠い)人間*3を引き込もうと自分の持つ重力を大きくするために。

 

 この話の意義は何だったのか本当はよく分かってない。無自覚の内に誰かを傷つけている現実を突きつけても、それでも前へ進めと言っているのか。

 スクールアイドルの彼女らが表現者であるならば、確かに避けて通れない問題かもしれない。自分を見ることで快く思う人間しかいないはずがない。その現実を知ってなお進んでいくことが、自分に正直になりやりたいことをやることが是であると改めて宣言する話だったのかもしれない。美里さんがスクールアイドルのファンになったのはこのアニメの優しさ(ウソ)だろう。

 

 スクールアイドルがファンにトキメキを与える話であったかもしれない。今回の場合は「美里さんの例」をピックアップして。会場まで足を運ぶまで惹かれていない、そもそもファンですらない人間*4をオンラインライブという長距離射撃によって撃ち抜く。1期の頃から言っていることは一貫していて、スクールアイドルはファンにトキメキを与える存在であり、今回はその射程を伸ばす手段を提示する役割もあったかもしれない。

2. やはり人間は相互作用の中で生きている

 あまりアニガサキには関係ない話題。スクールアイドルとファンの関係というより、愛と美里さんの関係の話。

 他人は鏡だっていう考え方がある。相手の自分に対する態度は、自分を映す鏡になる。自分が相手に善く接すれば良い反応が得られるだろうし、そうでなければ悪い反応が返ってくる。簡単に言えばこんな鏡。

 ただしこの鏡は現在を返すだけでなく、過去の姿も映す。幼少の愛を照らした美里さんを、現在の愛が照らし返すように。人間同士の相互作用は必ずその過去が考慮され、現在だけを考えるものではない。他人を好きになるのもそうでなくなるのも、過去の積み重ねがあるから。

 1期13話の夢がここからはじまるよ前のセリフもそうだろう。今まで侑が支えてくれたから、同好会も侑を応援する。このブログでは「お返し」と表現してきたもの。

 

 この概念が今後 虹ヶ咲に関係してくるかは分からない。だけど、人間同士の相互作用という点に注目してアニガサキを見る必要があると思う。そんな思考のメモとしてこの文章を残しておく。

 

 果林がああやって愛を焚きつけるのは面白かった。仲間でライバルを意識するキャラクターであるし、1期5話でエマに引っ張られた人間でもある。

 同好会の多くは1期で誰かからの助けを得て成長してきた。「誰かからの助け」という入射光が、また他の誰かへ反射していく。これもある意味 鏡かもしれない。

 これは、他者の思考を内在化し、新たな自分とすることの換言になる。この関係が有機的に絡み合い、ファンとスクールアイドルという複雑なコミュニティを形成しているのだ。

 

3. おわりに

 今週は忙しくて平日に感想を書く余裕がなさそうだったので今のうちに書きました。あまり見返せておらず、言及したかった事柄を飛ばしてしまったかもしれないので、そこに気づいたら加筆しようと思っています。構造的な話をほぼできなかったし。

 

 ユニットの形はユニットごとに違う。また、ユニット活動はソロの自己実現のための足がかりとか、手段であると今のところは思っています。A・ZU・NAでどうなるのか気になりますね。

 DiverDivaはお互いを高め合い、競争心を失ってしまった人間を再度焚きつける相互作用の形だった。自己実現は自身のために行われるものだが、一人でできるものではないという例示。

 

 2期はたくさんの「あなた」がネームドキャラとして登場していると思う。もしかしたら、様々な「あなた」の形を通して帰納的にファンとスクールアイドルの関係を描こうとしているのかもと考えたり。

 

 前半に話を詰め込んで既存メンバーの見せ場を終わらせ、後半に何があるのか少し怖いです。文化祭とスクフェスの合同開催。字面からもう大変な話になりそうですが、1期のときのように情緒を破壊されるようなお話が出されることを期待しています。

 

 他人に寄り添う人間になった天王寺璃奈、僕は……

*1:自己実現への絶対的な肯定だろう

*2:ネガティブな1期12話かもしれない

*3:ミア・テイラーもそうだろう

*4:楽しむ準備ができていない人