釣り堀

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虹ヶ咲2期6話『“大好き”の選択を』感想 - 大好きを全部叫ぶ

 2期6話は初めてアニガサキをお台場で視聴しました。他のオタクと一緒に見ていたのですが、感動のあまり泣いてしまうなど…。色々と感じるものの多かった話です。

 色々考えて、今の僕なりに2期6話の見方を固められたと思うので書いていきます。

 

前回の↓

ro-puru.hatenablog.com


1. 「大好き」を全て叶える

 サブタイトルにもある今回のキーワード「大好き」。いや、今回と言わずアニガサキを縦に貫く重要な柱です。2期6話は提示された大好きを全部叶える欲張りなエピソードでした。

 この欲張りさは今に始まったことではなく、既に1期で示されていたものです。第1回スクフェスの開催に当たり、かすみんボックス一杯になった要望を全て叶えると宣言したあとのときから何も変わっていません。このアニメはずっと、やりたいこと=大好きを全て実現させていくアニメでした。

 ただ、今回はスクフェスと文化祭の合同開催という巨大な欲張りだけでなく、一人が持つ複数の大好きを全部選び取るというミクロな、だけども非常に大きな選択をしたのです。一人では不可能だった合同開催(スクフェスに立つせつ菜と文化祭をまとめる菜々を両立させる機会)を周囲の助力により実現する形で。

 ミクロな視点的にはせつ菜にも菜々にも彼女らを支えてくれる人たちがいたことの確認。マクロな視点で見ると、誰かからの助けが自分のトキメキを前進させる糧になることの再確認。

 マクロな意味について。第1回スクフェスで、スクールアイドルはファンの背中を押す存在だと定義されました。2期6話は、そんな背中を押された人間が、大好きを叶える具体的な例として彼女を描いた意味を持っていると考えています。加えて、会議に集まった他校のスクールアイドルだけでなく、生徒会を始めとする菜々を取り巻く人間すら背中を押す役割を果たしているのは示唆的に感じます(考え過ぎかもしれませんが)。今後、侑のエピソードで効いてきそうな気に留めておきたい事柄ですね。

 

 とにかく、このアニメは芽生えたトキメキを全て叶える作品です。夢が僕らの太陽さの歌詞にもありますよね。話が侑ちゃんのターンに戻ったとき、彼女がどういった形でこれを実現させるのか、そこに2期の答えがありそうです。

 

 全部選択することもまたアニガサキが持つ肯定の姿勢の象徴です。ランジュはやりたいことを1つ見つけたなら、それに向かって全力で走るために余計なものは削ぎ落として進めと言っています*1。対してアニガサキはたくさんのトキメキが芽生えたなら、それを全部抱えればいいじゃないと言ってくれている。本当にこのアニメは優しいですよね。

 

2. 大好きを叫ぶ

 「せつ菜=菜々」*2の話です。2期6話で僕が出した結論は「優木せつ菜を隠す必要がなくなったから、中川菜々を知る人物にも開示した」になります。

 この見方をするため受け入れてほしい事柄が

①アニガサキは自分の大好きを積極的に表現することを良しとしている
②中川菜々は周囲の期待から形成された

になります。①は僕がアニガサキを見る上でかなり重要な部分だと感じています。まだ未確定ですが、前も書いた通りアニガサキ2期は自己表現の物語ではないかと勘ぐっていて、そこに繋がりますね。

 

2.1 アニガサキは自分の大好きを積極的に表現することを良しとしている

 まず①。そもそも、せつ菜であることを明かすことって必要だったのでしょうか。せつ菜は「中川菜々」とは無関係な「優木せつ菜」であってもスクールアイドルとして人気を獲得し、謎の存在として注目を集めていました。隠していても何らデメリットが存在しないわけです。ですが彼女はその平衡状態を打ち破りせつ菜であることを示した。

 これが何を言っているのか。僕は上述の通り、アニガサキというアニメは自分に嘘をつかないことを要求するばかりか、それを表出させることを是としているのだと受け取りました。自分を表現しろと言っているのです。2期3話で侑が音楽を奏でることで自分にしかできない表現をしたように。

 踏み込んだ見方をします。ならば、自己表現をしているスクールアイドルたちがこぞってライブをするのも頷けるようになります*3。今までこのブログではライブを自己実現の場と表現してきました。ですが、2期の最後まで考えが変わらなければこの表現をもう少し厳密に「ライブは自己実現した姿を表現する場」と変えることになります。"ライブ"はスクールアイドルの場合であって、侑であれば"音楽"、また違ったトキメキが芽生えたなら異なる表現方法があるでしょう*4。……今はまだ与太話の域を出ませんが。

 

2.2 中川菜々は周囲の期待から形成された

 次に②。「せつ菜=菜々」の本質は間違いなくせつ菜にありました。

「期待されるのは嫌いじゃなかったけど、1つくらい、自分の大好きなこともやってみたかった」(1期3話, せつ菜)

 自分に嘘をつかない真になりたい自分。1期3話時点では、せつ菜はそうした「せつ菜=菜々」の大好きが表れた姿として描かれていました。せつ菜こそが彼女本来の姿であると。

 対して菜々は周囲からの期待を受け入れ形成した姿です。それはアニメを禁止し、勉学に励むよう応援をくれる家族からの期待。生徒会長としてみんなのために仕事をこなし、好ましい人間であることを望む生徒からの期待。これらを受け入れ、そう振る舞っているのが菜々でした。1期8話で言えば理想のヒロインを演じた白しずく。

 つまり、菜々という人物は周囲の期待に応えるためにいる。せつ菜を隠す理由はここにありました。「せつ菜=菜々」はせつ菜を出すことで菜々に向けられる期待を裏切り、失望させてしまうと考えたから正体を秘匿し、謎のスクールアイドルとして活動してきたのです。

 

2.3 せつ菜と菜々の統合

 ですが、せつ菜にも菜々にも変化が起きました。ここから書くことが僕の考える2期6話の答えです。

 

 せつ菜に生じた変化について。これは環境の変化です。初めは純粋に自分の大好きを叫び、ファンに大好きを届けるためにいたせつ菜。しかし、第1回スクフェスでスクールアイドルはファンを応援すると言いました。また、栞子の言うようにせつ菜は人気を獲得し、生徒達から好ましく思われる存在にもなりました。これは、菜々に求められるものをせつ菜がクリアしていることを示しています*5

 菜々に起きた変化は心境の変化です。菜々の存在が、「せつ菜=菜々」の大好きに変化した意識の変容。みんなのための菜々を好ましく思えるようになったのは、きっとせつ菜のおかげです。スクールアイドルせつ菜が抱いたみんなにお返しをしたい・応援したい気持ちが菜々にもフィードバックされ、そのためにいる生徒会長の自分を好きになれたのかもしれません。つまり、せつ菜の感情が菜々にも染み出している。

 

 菜々に求められるものをせつ菜も提供できるようになり、せつ菜の大好きが菜々にも伝播した。

 換言すると、周囲の期待に応える菜々の役割をせつ菜が果たせるようになり、大好きを叫ぶためのせつ菜の役割を菜々も果たせるようになった。

 

 もう二人を分ける必要がないのです。互いが互いの役割を全うでき、「せつ菜=菜々」の大好きは場所を選ばず発散できるようになったのです。

 図で示しましょう。分かりますかね?内側の円は"私"=「せつ菜=菜々」という人格のコアを、外側の円は対外的に表出するせつ菜または菜々という人格を表しています。周囲の目がある中でせつ菜を出すか、菜々を出すかを彼女は選択的に演じてきました。

 "私"から発せられる形のない大好きの感情(=衝動)はスクールアイドルの形と、生徒会長の形を取っています。衝動が2つの形をとる中で、優木せつ菜の形をした大好きは、それが中川菜々と同じ"私"から発せられたものであることを同好会の前でしか明かせませんでした。なぜなら、菜々に向けられた期待に応えられる姿ではなかったから。家族と生徒たちにはせつ菜を隠していたんですね。

 しかし正体を明かしてからはせつ菜と菜々は統合され、どちらも"私"であり、区別することがなくなりました。自分の大好き(図の実線矢印)は、全て、誰に対して向けても大丈夫なようになったから。彼女はもう何も隠さず、自分の大好きを存分に叫び、自己表現するのです。

 

3. スクールアイドルとその他の垣根

 これはL!L!L!を念頭に置いたアニガサキの見方の話です。

 スクスタではスクールアイドルを応援することすらスクールアイドル活動だと、スクールアイドルの概念を拡張しました。アニメでは似たようにスクールアイドルとその他の生徒の垣根を壊そうとしているように感じます。

 それは文化祭とスクフェスの合同開催が顕著な例。文化祭も一般生徒達のやりたいことを表現する場としてあり、その本質はスクフェスと何ら変わりがないのです。ただ、表現方法がライブであるか否かというだけ。スクールアイドルと一般生徒の両者共、自分のやりたいことのために動いているのは同様です。

 予想記事で、2期で発生するかもしれない思想として挙げた「トキメキに向かって全力で走る・誰かを応援する姿勢こそがスクールアイドルという生き方である」の「トキメキに向かって全力で走るのがスクールアイドルという生き方である」はあながち見当外れなものではなくなるかもしれませんね。

 

 また、カメラを持つシーンが2期6話では目立っていました。かすみ・愛・璃奈などスクールアイドルがカメラを持つこと、ファン・みんなである一般生徒と侑が被写体になること。本来ならばファン側がカメラを構え、スクールアイドルが被写体になるのとは逆転が生じています。これもスクールアイドルとその他の区別を希薄にするような意図を感じますね。

 以前、スクールアイドルとファンの境界は、自分とそれ以外の間で引かれ、スクールアイドルですらファンになり得ると書きました。今度はファンですらスクールアイドルになり得るとアニガサキが言っているような気がしてならないのです。文化祭で自分の大好きを表現する一般生徒は、もうスクールアイドルなのかもしれません。

 ……この考えもまた、2期を最後まで見ないと分からない妄言ですけどね。

 

4. おわりに

 2期3話に続き、今回もアニガサキの優しい思想を感じられました。すべて選択していい。トキメキが芽生えたファンへのこの上ない肯定です。

 保留し続けた侑ちゃんからランジュへの返答もまだ提示されていません。これはきっと2期のコアとなる思想が含まれ、それもまた優しいものなのでしょう。どうなるかは全く想像できませんが、なんにせよ変わらずこのアニメのことが好きです。

 

 Infinity!Our wings!!はもう曲調がはちゃめちゃ好きで、歌詞も刺さりまくって、口上で泣いちゃいます。自分の好きなこと・可能性とかくれんぼしたとしても、全部それを拾い集めて叶えていいんですよね…。映像も綺麗だし、完全に好きになっちゃった。

 

 色々あったけど、2期6話本当によかったです。

 

  

 もはや何も言うまい

*1:侑の場合は両立できていないので事情が異なるけども

*2:この記事ではせつ菜と菜々の使い分けが重要になってくるので、せつ菜と菜々を作り出している人間を指す記号として「せつ菜=菜々」用います

*3:スクールアイドルなのだから、ライブをするのは当然であるが

*4:この答えに落ち着いたとしたら、僕らには何が出来るだろうか?

*5:みんなのために働きかけ、好ましく思われる存在