虹ヶ咲2期8話『虹が始まる場所(TOKIMEKI Runners)』感想 - 自分のこと、みんなのこと
2期7話感想文を書く時間がなくて、自分的にかなりグダグダなもになってしまった後悔から出来るだけ早くブログを開いて文章を残そうとしています。「やりたいと思った時から、きっともう始まってるんだと思う」。
前回の↓
1. みんなに喜んでもらえるのは嬉しい、でも…
アニガサキの感想文を書くとき、いつも引っかかっていることがあったんです。僕のアニガサキ観はどこまでも個人主義で、(他人に迷惑をかけず)自分が満足できればよいというものでした。そのためのアプローチが、芽生えたトキメキに従って自分が真になりたい自分になること。
ですが、他者のために振る舞い、承認を獲得し、欲求を満たすことで生まれる満足だってあるはずです。そんな満足の形から意図的に目を背け、僕は僕の見たいアニガサキ像を形成していました。
だけど今回の話はそんな見方すら許容してくれる可能性を示してくれた。
「確かに、今のままでもみんなに喜んでもらえるかもしれないけど、今、私が感じているこのトキメキは、もっと、なんていうか…」(侑)
きっと、侑が曲を渡せばみんなは喜ぶだろう。だけどそれで本当に自分は満たされるのか?そんな疑問を投げかけてくれたと僕は受け取りました。
何よりも自分がしたいことというのは自分が中心にあって、それを達成したときにしか味わうことの出来ない感覚があるはずで。少なくとも、スクールアイドルのような自己表現に存在をかける人物達から受け取った"トキメキ"という感情は自分のためにあるんだと侑も予感していたはずです*1。
このアニメは、1期3話で他者に迷惑をかけてしまうぐらいなら環境の方を変えてしまえと言いました。1期4話で自分がやりたいことは自分が楽しいと思えることだとも言いました。また、1期の全編を通して、やりたいと思ったならその瞬間にもう始まっていて止めることは許さず、自分が真になりたい自分になれとエールを送ってくれました。
2期3話では満足できるかが重要で、自分はこの世界に一人しか存在せず、そんな自分しかできないことをやっていいんだと肯定してくれました。そして今回、2期8話で他人の喜ぶことも良いだろう、だけどもやはり最もやりたいのは自分自身のことだとも。
2期3話で他者の視点からの脱却の話をしました。あのときの考えは今も変わっていません。トキメキに従う行為――自己実現は自分が自分で叶えていくものだと今でも思っています*2。
僕はこんな、自分を満足させるために"ソロ"で自己実現を叶えていくこのアニメのことが好き。それを改めて再確認できたエピソードでした。
2. 生まれたのはトキメキ
僕はこれまでトキメキのことを衝動と換言し扱ってきました。作中の言葉を用いるよりも、一般名詞を使った感想文の方が分かりやすいと思ってそうしていただけで、2つの語の間に差異を設けていなかったのですが。
今回の話はトキメキ=衝動も肯定してくれるエピソードだったように感じました。
前々回、正直特に必要なかったけど気分で作った図が案外使えそうだったので流用します。
この図は心から湧き出たトキメキ自体には形がなく、きっかけを通して具体的な夢になるということを言いたかったものです。1期1話で侑はせつ菜からそれこそ身を焼かれるようなトキメキを受け取りましたが、何をしたいのかは定まっていませんでした。
スクールアイドルとは明確な夢を与えるものではなくて、トキメキと名付けられた「何かをしたい気持ち」そのものを誘発する存在ということです。スクールアイドルが夢を与えるなら、それはきっとスクールアイドルになる夢など限定的なものです。だから、それよりももっと根源的な、何かをしたい気持ちそのものを与える起爆剤の役割を与えられたのでしょう。
補足:1期でスクールアイドルはトキメキを与える存在だと明言されました。今回、スクールアイドルは自己表現をする存在だとも。そして、スクールアイドルではない侑が自己表現をする側に回りました。それの意味することはもしかしたら、①スクールアイドルとその他の区別の破壊②侑がトキメキを与える側に回る、なのかもしれません。
侑は1期で夢を見出しました。今回のエピソードはそれをもっと明確にする話だったのかなと捉えています。なぜ音楽をやりたいと思ったのか、その答えは2期3話でもいったん示されましたが、なぜ同好会に身を置きつつその夢を追っていたのかを僕らに提示したような。2期1話でランジュから発せられた問いへのアンサーでもあります。音楽科で自己表現の手段を磨きつつ、同好会に属する意味。
たぶん、同好会にいる侑はファンではなく(スクールアイドル同士を指す言葉としての)仲間でライバルへ加わったのです。これはある意味、ファンとしての自分と音楽をする表現者としての自分を分離し、夢を確立することなのかもしれません。
補足:スクールアイドルとファンの垣根を破壊することが2期のテーマだと仮定したとき、「ファンの自分」と「夢を追う自分」を剥離させる意味に答えられないので「たぶん」と言っていますが。もしかしたら、「見てるだけじゃたりない」なのかもしれませんね。自己表現者の姿にトキメキを感じるファンへはスクールアイドルを含めた誰しもがなり得て、そこから何かを始める(=見てるだけじゃたりない)ことが拡張された概念の「スクールアイドル」なのかも。
またいらぬ図を用意しました。お気づきですね?ただ図を作るのが楽しくなっているだけなのが…。
僕が現時点で考えているスクールアイドルとファンの統合は、図のようなループをイメージしています。スクールアイドルからトキメキを与えられたファンが夢を見つけ、自己表現を行うことで拡張されたスクールアイドルになり得る。ここに特別な区別は存在しません。誰しもがファンに、スクールアイドルになる可能性を秘めている。これからの話でこういったところに言及されるか注目したいですね。
3. 人間同士の相互作用
これもまた1期から感じていて、2期でさらに強くアニメから発信されているような気がする要素です。
スクールアイドルの背中を押すファン、ファンを応援するスクールアイドル、ライバルで仲間、スクフェスの開催にあたり協力してくれたみんな、見てくれるみんな。要素を書き連ねれば枚挙に暇がありません。
自己実現像そのものに他人は介在しないと、少し強めの表現であるものの僕は言ってきました。ですが、そこにたどり着くまでの道筋は自分一人で歩いて行くものではありません。誰かが助けてくれるから自分のキャパシティを超えた大きな夢も実現できる。みんなと歩くから、その道程は彩り溢れたものになる。そこにきっと理由はないです。人は人と共に過ごすことで楽しさを感じるんだ。1期6話でも、1期7話でも、1期8話でも、そして1期9話、1期12話、1期13話…それこそこれを描いたエピソードを上げればキリがありません。
僕はこのアニメの描く人間像は内外へ向けた2つの性質を併せ持っていると思います。内へは自己実現の欲求、外へはみんなと共に歩み、関係を育む欲求が生まれている。2期は1期よりも殊更に外向きへの働きが強く感じます。特に感じるのは「お返し」。1期13話でスクールアイドル→ファンへのお返しを示してから、2期4話で愛さんから美里さんへのお返し、そしてまた2期6話、2期8話でありとあらゆる人間へのお返しが描かれました。お返しというのは何かを受け取って初めて発生する概念で、それは人間同士の相互作用を象徴するものに他なりません。内的な自己実現という目標を掲げ続けたアニメがこれを強く押し出すことに僕はどうしても惹かれてしまいます。
2期でこの要素のアンサーが出されるかは分かりませんが*3、ランジュを攻略するキーになる手応えもあります。スクールアイドルとファンの垣根の話題と並行して今後注視していきたいポイントです。
4. おわりに
明日から次の話の放送まで本当に書く時間を確保するのが難しそうなので今のうちに書いてしまいました。突貫工事ですが、前回よりは書きたいことを書けたと思います。
また何か思い浮かんだら追記しようと思うのでよろしくお願いします。
いやでもやっぱり、僕の見たいアニガサキ像をかなり押し付けているとはいえ、自分のしたいことだけが指針になるような主張をしてくれるこのアニメのことが本当に好きなんです。これから2期後半で、1期の例を見ればさらに話を突き詰めてくると思うので緊張しますね。どんな思想を用意しているのか楽しみで仕方がありません。
あと、気になったのは侑ちゃんが音楽科の方で苦戦している話の回収は未だされていない認識でいいのかな。今回答えられたのは同好会に身を置く理由だけで、キャパシティを超えた夢を抱えたアンサーにはなってないような。ミアの助力があってTOKIMEKI Runnersを作れたことから、他者からの応援によって不足した能力を補うって見方もできなくはないですが。
あとは、せつ菜が菜々と統合されたように、音楽の夢と同好会でみんなに近くにいることの2つの目標が統合された線もある?僕なりの答えは保留ですが、今後の話で明らかになるのかな。
顔が良すぎるだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!