釣り堀

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虹ヶ咲2期8話『虹が始まる場所(TOKIMEKI Runners)』感想"付録" - アニメ文脈『TOKIMEKI Runners』歌詞読み

 昨晩いそいそと感想文をアウトプットしたら案外時間の余裕ができてしまったので、今日も少し何か書こうと思います。自分の考えをドカドカと吐き出すのは気持ちが良いです。

 

2期8話感想↓

ro-puru.hatenablog.com


1. アニメ文脈で『TOKIMEKI Runners』の歌詞読みをしてみよう

 歌詞読みってすごく体力使うからあんまりやったことないんですけど、さすがに侑が作詞・作曲したこれはアニメ単体で見ても積み上げられた文脈が強いのでこの機会にやってみます。ではさっそく…

 

1.1 アニメで記された歌詞

生まれたのはトキメキ 惹かれたのは輝き

 1期1話でせつ菜の『CHASE!』を見た侑そのものですよね。あの瞬間から侑の心の中にトキメキが芽生えました。それはせつ菜――スクールアイドルが全身全霊をかけて自分の存在を叫んで自己表現をする輝きに惹かれたからです。

 輝きの正体について2期8話でようやく判明し、自己表現する姿だと明確に定められました。

 

あの日から変わりはじめた世界

 毎日歩夢とぼんやりと目的も持たず、ただ流れていく時間を謳歌していた日々は変わり始めます。1期1話時点では同好会は解散しており、ファンや他校のスクールアイドルとの繋がりなんてものもありませんでした。その環境はあのライブを境に目まぐるしく変化し始めます。

 新しいスクールアイドルが生まれる遠因にもなり*1、加えてランジュが来日するきっかけとなったスクフェスも開催され、さらに規模を拡大した第2回まで開き、本当に遠いところまできましたよね。

 音楽をやりたい気持ちから音楽科へ転科することにもなり、人生に小さくない転機が訪れた日です。その影響は上で書いたように自分自身だけではなく、繋がりを持った人間全員まで伝播してきました。

 

見てるだけじゃ足りない カラダ動かして

 スクールアイドルを見てしまったら、もう見ているだけではいられません。それはトキメキを与えられたからで、具体的な目標も定まらず走り出した侑のように、気持ちよりも先にカラダが動き出してしまうような衝動が全身を支配するのでしょう。

 きっと、スクールアイドルから与えられたトキメキだけじゃなくて、何かをやりたいって気持ちが生まれたら全員そうなんです。1期4話アバンで観客が楽しそうにする姿に惹かれた愛なんかはこっち寄りの存在な気がします*2

 

できることないか 探してみようよここで

 抽象的な部分ですが、侑の例を当てはめてみると、まだ夢が分からない状態で出来ることとして誰かを応援することが代入されました。

 こういう見方をすると、トキメキを抱いた人間は居ても立っても居られなくなり、その衝動をどうにか発散しなければ気が済まない様子を表しているように読めます。この時点では侑のように、まだトキメキの行き先であるの具体的な形が見つかっていないのかもしれません。だから何でもいい、今自分に出来ることを探すんだと思います。

 

これは夢かな? 夢ってステキな言葉

言ってるだけでイイ気分

 恐らく1期3話あたりの侑です。あのときにはもう音楽のことを意識しだし、強い興味を抱いていたはずです。でも、まだ夢なのかどうかは判然としない。音楽っていうのは1期11話, 12話でようやく侑の口から夢だと明言された事柄ですよね。

 でも、トキメキに実体が生まれ始めたそのときにはもう楽しい気持ちでいっぱいなのでしょう。上手でなくとも、音楽室のピアノを借りて『CHASE!』の練習をする時間は充実したものであったはずです。夢*3って、始まった瞬間は希望しか無くて、目の前が光り輝くような景色に見えるはずです。みなさんも経験したことはありませんか?

 

きっと夢だと決めてしまえ

ああっ勇気が湧いてきた!

 これはどういうことでしょう。Runnersって言う通りもう止まることはできなくて、夢かも?と予感を抱いた時点でそちらに舵を切って進もう!って言ってるんでしょうか。僕的にアニガサキは刹那主義の面があると思っているので、そういう性質が強く前面に出ている歌詞に思えます。考えるよりも、今自分が感じている直感を信じて楽しいと思える方向に突っ走ってしまう姿勢に見える。

 走って行く先を夢だと決めてしまえばもう迷うことはなく、突き抜けるのみです。夢を追っている時間はやはり楽しいもので、活力がみなぎり、そんな状態を勇気が湧いてきたと表現しているのかもしれませんね。

 1期12話で「夢があるんだ」と宣言した時点の侑はこの状態だったように思えます。あのときは、きっと音楽が自分の夢だと決めて走り出したんです。そして2期8話でようやく自分を表現したい夢が明確になったと受け取りました。

 

ワクワク叶える物語(ストーリー)

 

どうなるかは僕ら次第

 自発的に行動を起こし、現在の環境を勝ち取った侑だから言える言葉です。夢への道程で選択権は夢を見つけた者にある。すごく前向きな歌詞だと思いませんか?やりたい気持ちがあるなら、それを掴み取るかどうかの可能性はもうその人の中にあるんです。

 アニガサキのメッセージとして、僕らに投げかけているものでもあります。スクールアイドルを見てトキメキは受け取ったはずだ。なら、その後の君たちはどうするのだと。

 

出会いって それだけで奇跡と思うんだよ

 仲間、人間同士の相互作用を重要視する歌詞です。このアニメは迷ったとき、行き詰まったときには必ず他者からの助けがあり前へ進むことが出来ます。

 侑にとってそんな助けをくれる同好会、新規3人組、そして3人組と出会う遠因となったスクフェスを支えてくれる人たち全てとの出会い・繋がりは奇跡に違いありません。その繋がりがあったから現在に至った。人間が人間に出会うことって、それ自体が素晴らしい出来事なんです。

 

ワクワク叶える物語(ストーリー)

 

みんなで楽しくなろうよ

 侑が同好会にいたいと願う理由そのものじゃないですか?みんなと手を取り合って、足りないものを補いながら関係が同好会の本質ではないはずです。きっと、みんなと一緒にいて楽しいからあの輪の中にいたいんです。これはランジュへのメッセージも意図されてそうですよね。

 僕は一人の時間も大好きですが、それと同じように誰かと過ごす時間も好きです。その感情は人間の中でかなり普遍的に存在し、多くの人が当てはまるはずです。出会ってしまったなら、一緒に楽しんでしまった方が楽しいはず…。

 

生きてる!ってココロが叫んじゃう

そんな実感欲しいよねっ

 夢へ向かって走ること、自己実現を叶えることこそが人間の生きる意味だと僕は言ってきました。まさにそれですよね。生きてる実感を得るために侑は夢を追いかけるんです。この作品に生きる人物たちの目的そのものです。

 

(ワクワクしたいキミと ワクワク発ストーリー)

始まれ! (ワクワクしようキミも!)

 (追記)ここで、「キミも!」と言っているんですね。

 

 

 こんなところです。今まで僕がブログで書いてきた文章をそのまま回収された歌詞って感じです。すごくしっくりきて、アニガサキもこの曲を軸に物語が構成されていたんだと実感できました。

 

1.2 アニメ範囲以降の歌詞

 侑のノートに記された歌詞は以上までですが、それ以降の意味も考えるのが自然でしょう。これからのアニメ範囲でこちらをカバーする可能性も考えられますが、ひとまず現時点での読み方をさっきよりハイペースで書いていこうと思います。

 

不意にきたよヒラメキ やれるかもと呟き

これからはキミと旅する世界

 もう夢へと走り出した状態のことでしょう。その道中ではきっといろんな気づきがあります。1期6話で璃奈が璃奈ちゃんボードをひらめいたように。侑にもきっとそんな経験がたくさんあった、または訪れるはずです。

 2行目が意外と難しい気がします。スクールアイドル目線なら読んだ通りなのですが、侑の立場に立ってみると誰のことを指すのか。同好会?ピアノを聴いた観客?何にせよ、一人ではなく自分と共にいてくれる誰かの存在を大切にした歌詞です。

 

知らないことがたくさん キモチ高まって

できることあるよ 何かはわからないけど

 夢へ駆け出し、扉を開いた先は未知の世界が広がっていて絶えず刺激を受けるでしょう。そんな喜びのことを言っているのかな。

 また、知らないこと=できないことと読み替えてもいいかなと思ったり。また璃奈ちゃんの例を出しますが、できないことがあっても、何かできることがあるかもと可能性を模索するのは必然的に訪れる困難です。そこに闘志を燃やす様子を描いているのかな~って読み方。

 

みんな夢見たい? 夢っていつから見るの

気がついた時 もう見てる!

だからまっすぐに進んでみよう

わあっ希望に呼ばれたよ

 これ1番の反復ですよね?トキメキが生まれて、気づいたときには夢になってる。それは何か大きなきっかけがもたらされるだけでなく、グラデーションのようにいつの間にか夢を見ているのかもしれません。

 転びそうなぐらい全力で走って、重心を前に移し前傾姿勢でいるのは、さながら希望(≒夢?)に引っ張られているものなのでしょう。呼ばれているから、応えるように自らものそちらへ向かっていく。

 

キラキラ求める明日(tomorrow)

 

どうしたいかは僕ら次第

 「どうなるかは僕ら次第」と姉妹のような歌詞。「どうしたい」なんてものは自発的な感情そのもので、それは僕らに委ねられてるのは当然かもしれません。再度の確認をすることで、行動の選択権が夢見た人にあることを強調しているように感じます。

 

願いって 大きなほどキレイだと思うんだよ

 これは…分かりません!勝手に願い=夢と読み替えていますが、大きなほど綺麗なのでしょうか?小さい夢を間接的に否定しかねない危険を孕んでいるように感じますが、穿った見方かな。

 でも、侑の夢がステップアップしていって、スクフェスの開催まで漕ぎつけたのはアニメでポジティブに描かれており、そういう側面もあるのかもしれません。夢の大きさを測る定規が人それぞれ違う相対的なものと考えるなら、自分の限界に近づくような、そんな夢を追いかけることが是とされているのかな。

 

キラキラ求める明日(tomorrow)

 

みんなで笑顔になろうよ

 上に書いたことと同じですかね。

 

そして走りだして

 

どこ行こうか? (どこでも!)

トキメキに聞いてみよう

好きなことが鍵だよね

胸に手をあて 聞いてみるよ「大好き」を!

 いやすげえなここ。完全にここから逆算してアニメ作ってない?

 自分のやりたいことが指針で、好きなことを尊重して行き先を決めてるんです。侑の在り方そのもの、かつ、アニメ全体の思想そのもの。僕のアニガサキ観的には読んだままです。みなさんもそうではないでしょうか?

 

飛ばして

さあみんなも!

 2期8話まで見たみなさんなら、改めて確認しなくてもよいでしょう。この歌詞のメッセージは…

 

2. おわりに

 こんな感じです。付録ってことで色々雑多なことを書いていこうと思ったんですけど、歌詞読みだけで結構文字数いっちゃって疲れた!読み方的にはいつもの手癖で書いたのですが、やっぱり指を動かすのは大変です。

 

 まだ日曜なので、暇があったら他の記事も書けたら嬉しいですね。

*1:栞子

*2:せつ菜のライブが始まりになったことには違いない

*3:どんな規模のものでもいいと思います。自分の能力で届くか分からないもの、用意に達成できるもの、極論昼ごはんに何を食べたいかだって夢って言えると思います