釣り堀

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ルミナスウィッチーズがターニングポイントを迎えたので覚え書き

 TVアニメ放送決定の情報が出てから放送延期を繰り返し、ようやく今夏見ることが叶ったルミナスウィッチーズ。ストライクウィッチーズではエイラ・サーニャ回を担当し、何より放課後のプレアデスの監督でもあった佐伯氏の関わるオリジナルアニメということで楽しみにしていました。制作会社的に途中から映像が乱れたり、1クール中に放送しきれないのでは…みたいな懸念があったのですが今のところ杞憂で、変な緊張感を持たずに楽しむことが出来ています。

 さて、6話の放送を終えターニングポイントを迎えたので何かオタクブログを書いておきたいなと思って記事作成ボタンを押しました。総集編も差し込まれましたしいいタイミングでしょう。

 と言っても正直ルミナスウィッチーズのことを分かれているかというと、そうでもなく、文章を打ってる現在進行系で何を書こうかなと考えあぐねている状態です。

 なので、とりあえず覚え書きという体でアニメを見て思ったことをつらつら書いていこうと思います。肩の力を抜いてね。


1. 戦いに疲れた人へ向けた音楽

 本作の主題である”音楽”。音楽と言っても色々ありますよね。曲調や演奏形態といった音楽そのものの形もそうですし、奏でる目的、聴く目的などなど。曲調で言えばロック、クラブ、ジャズとか、演奏形態ではオーケストラ、バンド、DTMなどがあると思います*1。奏でる目的も宗教的、政治的意図を持ったものから自己表現まで。聴く目的ではコミュニケーション、感情調節などが挙げられるかも。

 このアニメを見る上で重要なのは、「人が音楽を聴く理由、その必要性」だと思います。1話からバシバシ問題提起されてますしね。もっと言えば後者――必要性の部分がより重要そうですよね。

 極端な話をすると人って食べ物さえあれば生きていけるわけです。それが満たされる状況であるなら、次に衣服や安全な住処を求める。これらも満たされればもっと多くの願望が、例えば音楽のような娯楽が求められ始めるわけです。

 作品世界ではネウロイによって安全が脅かされているから抵抗するわけですが、極論生きるのに必要な行為ではありませんよね。では身を守る軍事行為と娯楽の音楽に必要性という意味で差はあるでしょうか?汚い話の進め方ですが、食事とそれ以外の行為に線引きをすると、上記の両者に差はないはずです。もちろん優先順位の高低の話が出るでしょう。しかしそれは主観によるもので、何か根拠に依った論理的な帰結にはなり得ません*2。ならばネウロイへの抵抗が行われてる世界で音楽の必要性は否定できないでしょう。

 もっと現実的な話をしましょう。銃後の世界とはいえ、いつネウロイが侵攻してくるか、いつ自分たちの街や命が脅かされるか分からない緊張の中で人々は生きています。軍需工場などで勤務し、直接戦闘に参加せずとも戦いを支える人々は間違いなく軍隊にとって不可欠な存在です。そんな人々を緊張から解放し、一時でも安らぎを与えることが不必要とは言えませんよね。アニメでは、そんなバックグラウンドなんて関係なく、ただ純粋に「人々に幸せになってほしい」思いから歌を歌います。

 ネウロイと戦うことも、歌を歌うことも、どちらも人々が幸福に暮らせるようになるための手段です。ネウロイを打倒することがより直接的で、根本的な解決方法となるから最優先とされているだけで。現時点の僕としては、音楽が必要か必要でないかという話より、「人々を幸福にするための手段の一つが音楽」という見方で後半を見ていきたいですね。

 

 ここまで書いて気づきましたが、アニメの話を全くやれていませんね。それじゃあんまりなので、ちょっと根拠が弱いことを自覚しつつも本編に結びつけた話をしてみましょう。

 

 取り上げてみたいのは4話です。五月祭の催しとして歌を披露することになったルミナスウィッチーズ。「優しい明かり」 → 「故郷の空」 → 「歌を歌おう」と曲が披露されるのですが、故郷の空は既存の民謡を使用したものになります。元はスコットランド民謡で、ブリタニア(というかスコットランド地方だったっけ?)で行われる五月祭の選曲として真っ当なものです。

 注目したいのは、この民謡を挟んで彼女たちの歌に繋げた点です。これは恐らく、彼女らの歌が性質的に民謡と同等であることを示すためでしょう。

 高貴な人間だけに向けた宮廷音楽でも、教養を持った人間へ向けた芸術音楽でもない、その地に根ざす人々へ向けた民俗音楽(≠民族音楽)。軍楽隊でありながら軍の威容を誇示するための音楽とも違う。民俗音楽と言っても呪術、宗教、労働促進、求愛などの役割がありますが、五月祭で演奏された音楽たちはきっと祭りで楽しい時間を過ごすための音楽です。

 

補足:五月祭は英語で”the May Festival”と表記するそうですが、Festivalは(アソシエーションと対置される意味での)コミュニティで行われる宗教または民間伝承または農業に関するお祭りのことです。五月祭は夏の豊穣の予祝や春の訪れを祝うお祭りであり、宗教的な色はそこまで濃くなさそうに感じます(キリスト教以前の古い神話の神に祈る意図があったようなので、完全に無宗教的な催事とは言えなさそうですが)。実際のところは調べてみないと何とも言えないのですが、少なくとも劇中では宗教色が感じられず、「みんなが楽しみにしているどんちゃん騒ぎ」ぐらいに捉えてよいでしょう。そこで披露される歌は、やはり人々を楽しませるためのものであり、その他の意図があったとしても第一義ではないと考えています。身も蓋もないことを言ってしまうと、近現代のお祭りなんて本来の意味が無くなり楽しい催事になっているものが大多数でしょうしね。

 

 話が遠回りしましたが、つまるところ彼女たちの歌は役割として「人々を楽しませる≒幸福にする」ものだということです。それも民俗音楽のような人々に寄り添った形で。それを明確にするため、楽しい祭りで披露する民謡と同じラインに彼女らの歌は並べられたのです。

気分が落ち込んだときは歌を歌うといいよ。落ち込んだときも、楽しいときも、何でもないときも。歌を歌うと幸せな気持ちになれるから。

 このジニーのセリフも引用しておきましょう。歌は元来人を楽しくさせるものだという願いがこの作品には込められています。歌う側も、きっと聴く側も。それを証明するために彼女らは世界を巡るのでしょう。

 事実、4話まで滞在していた村では子どもたちを笑顔にできたし、歌を通して住人たちは日々が楽しいものであることを思い出せたのだと願いたいです。

 

 音楽に関することは物語の核心でもあり、6話段階であーだこーだ言えるものでもないので今後を見てみようという結論に至るしかないですが、それでも現段階で語れるとしたらここらへんではないでしょうか。

 

2. 居場所としてのルミナスウィッチーズ

 ルミナスウィッチーズは音楽を使って人々を幸福にすることを目的として組織されたアソシエーションです。しかしそこには居場所としての共同体の色も見えます。戦う軍人としてはポンコツだった各々が肩を寄せ合い、役割を作り合い、手を繋ぎ会える場所。

 ストライクウィッチーズでの記憶が曖昧なのですが、この世界のウィッチは何らかの役割を期待される存在と思われます。治癒魔法を使ってけが人を治す、またはネウロイと戦うなんかは顕著でしょう。だからこそ、何の役割も果たせない彼女らは無価値の烙印を押されてしまうのです。それはやはり、あの世界の生活の全ては第一義にネウロイとの戦いのためにあるからです。そんな中で、同じく戦時下では不必要と切り捨てられた音楽のために集まり、その必要性を示すのがルミナスウィッチーズ。もしかしたら、音楽の方から必要とされ新たな役割を獲得する話なのかもしれませんね*3

 

 そんな共同体の中で、彼女らは各々の役割を発見します。3話で衣装班、振り付け班、作詞作曲班に分かれて分業したのなんかは象徴的だと思います。あとは6話でマリアが自分に出来ること / 出来ないことにピシッと線を引き、アクロバットプランの作成は自分が、実践はみんなに任せたことなんかもそうじゃないでしょうか。一時はポンコツとして爪弾きにされ路頭に迷った彼女らが、ルミナスウィッチーズの中で役割を、居場所を見つけていく。戦闘では何の役にも立たない彼女らの長所が活かされていく。

 劇中で「みんなでご飯を食べるとおいしい」という発言がありました。これは音楽の必要性と並行してルミナスウィッチーズのテーマでしょう。音楽には国も育ちも関係ありません。音楽の旗のもと、何者なのか関係なく手を取り合い、”みんな”になっていく。歌う者の属性を問うのではなく、伝えようとしている事柄に耳を傾ける。こうした音楽の普遍性が人々の繋がりとして返ってくる、そんなラインも見てみたいですね。そこで、大衆音楽である民俗音楽と同じ位置に置かれた彼女らの歌がどう作用するのかも気になるポイントです。

 

 もっと突っ込んで見てみたいのは、「私にできること」から発展した「私たちにできること」がテーマとして存在してるのではないかなってところです。一人一人では小さな輝きで、できることも少ない彼女らが集まり支え合って、一つの光として音楽を用い人々を照らしていくような。ストライクウィッチーズとの対比でポンコツ揃いの彼女らが、彼女らだからできることがあるんじゃないかって信じたいですよね。

 

3. おわりに

 特に書きたいトピックがあったわけでもなく、とりあえず半分過ぎたし総集編も入ったから何か書いとくか!ってブログを開いたので焦点が合わず線もブレブレの記事になっちゃいました。ただ、月並みながらも現時点で僕が感じたのはここらへんかなって具合です。やっぱりアニメは最終話まで見ないと何も分かりませんが、こうして途中途中で文章を残すのも楽しみだと思います。

 本文中で触れ忘れた「永久の寄す処」なんかも居場所としてのルミナスウィッチーズを示すのに象徴的な歌だと思いますし、もし再登場することがあればその意味がどう変化するんだろうなんてのも気になりますよね。

 ともあれ、もう完全に信頼していいアニメだと思うので、後半はただ背中を預けて視聴するだけですね!

 

エリーちゃんポワポワしてるけどフカンして物事を見てるお姉さん系で萌え萌えなの嬉しすぎる!!!

*1:知ってるものを列挙しただけだけど言いたいことは伝わるはず!

*2:あまりに汚い論法なので再度確認しますが、食事とそれ以外で線を引いた場合の話です

*3:正直かなり薄いラインだと思うが