釣り堀

https://twitter.com/Ro_Puru

虹ヶ咲2期3話『sing! song! smile!』感想 - 他者から見た自分・自分の価値

 本格的に学校が忙しくなり始め、就活中にできなかった分を取り返そうとバイトに入っているとどうにも時間が足りません。日々 虹ヶ咲について考えているものの、放送されてから1週間以内に感想を書くのは厳しいなあ、なんて思ったり。

 毎週更新は目標として掲げているものではありませんが、こうしてこまめに認識をアップデートしていくことで、最終的に2期全体の感想を書くときに楽かなと思って続けています。1期のときはだいぶ苦しんだので…。

 

 2期3話についてですが、かなり難しく感じました。それでも頑張って書いていこうと思うのでよろしくお願いします。

 

前回の↓

ro-puru.hatenablog.com

 


1.  他者から見た自分

 今回は他者について焦点を当てる話でした。1期にも6~9話のような「他者と関わる自分」のエピソードがありましたが、2期3話はそれらと少し違う題材だったように思われます。

 1期6~9話で他者は

6話:繋がりたい対象

7話:支え合うもの

8話:自分を縛るもの(自分以外の人間*1 )

9話:背中を押してくれる存在

のように描かれました。これらはいずれも自分から見た他者像です。

 対して2期3話は、他者から見た自分像についてスポットライトが当てられました。同好会9人から見た侑と、QU4RTZ同士のことですね。正直、虹ヶ咲でこの視点が出てくるのは意外でした。

 

 というのも、アニガサキ1期に対してのイメージが他者の視点からの脱却だったからです。これは「ラブライブなんて出なくていい!」を根拠とした考えです。「他人が用意した基準から良く評価されるために、自分のやりたいことを我慢するぐらいなら用意された基準の方を捨てる」話と受け取っていたからです。

 自分を評価するのは自分自身自己実現ができているか否かのみが自分を測る指標。つまるところ上で書いた他者の視点からの脱却。これが僕の思っていたアニガサキ像でした。

 しかし、今回は他者の視点という概念が明らかに導入されている。当初は「自己実現」と「他者から見える自分」という2つの概念が同居することに戸惑いを覚えました。なぜなら、自己実現は自分自身で完結するものだと考えていたから。でも、そう悩むものでもないのかもしれませんね。

 

 まず、自己実現と他者の視点は相反するものではありません。「えっそれはそうでしょ…」って声も聞こえてきそうな結論ですが、悩んだ末の答えがこれなので仕方ないです。いくら他者の用意した評価軸を放り投げて自己実現に勤しもうと、自分が他者から見られている事実は揺るぎません。ましてやスクールアイドルという、ファンがいなければ成り立たない存在であればなおさらです。

 また、他者の視点が導入されたことにより、ライブが自己実現の場であると同時に、自己表現の場であることも明らかになったように感じます。1期の頃から自己実現に一歩 近づいた自分を見せるシーンではありましたが、それが物語の構造的に明確な目的となったというか。2期1話のランジュを見てそう思ったのもありますし、2期3話ED前の侑の言葉からはっきりとテキストとして現れたのも根拠。

 自分を表現したいなら、その受け手からどう見えているかというのは大切な部分です。自己表現の物語をやりたいから他者の目を意識するようになったのか、それとも逆かは分かりませんが、この両者が2期のキーになるような感じがします。表現者であるなら他者から見える自分を意識する必要があり、こうなると僕の1期像と乖離し始めるのでイメージを更新することが求められるでしょう。

 

 ただ言えることは、他者から見た自分は今の自分をアップデートする材料になるということです。自分から見た自分と、他者から見た自分が異なるのは当然ですが、このどちらも自分であることは変わりません。自分の知り得なかった自分を知覚することは、常に自己をアップデートしていく自己実現において影響は小さくないように思われます。侑が9人からのアドバイスを受けてNEO SKY, NEO MAP!を生んだのもこの影響でしょう。

 今回は触れませんが、やはり人間同士の相互作用が重要な要素になりそうです。

 

補足:他者から見た自分を通じて自己を振り返ることにより、何か新たなものを創発するという考え方が既にあるそうです。「創発的内省」で調べてみるとそれっぽい文章が出てくるかも。「自分を振り返ること」と「新たなものを創発」できることにどのような因果関係があるのかはうまく言語化できません。しかし、自分の知らない自分を知ることは、なりたい自分像に影響を与える事柄であるとフィーリングで理解できます。他者の視点を入れることにより、既存の自分を見直し、自分の認識する自分を拡張する可能性を見つけ出せる。これは同好会に属する強い理由になるはずです。

 

 どんなに完璧な人間でも、一人では他者から見た自分を知ることはできません。ここがランジュを攻略する鍵なのかもしれませんね。

 

2. アニガサキは自分の価値を自分で決めるアニメ

 僕が最もアニガサキに惹かれるところです。

「侑ちゃんのやりたいことをやってみたらいいと思う」(歩夢)

「大事なのは侑先輩が満足できるかどうかじゃないでしょうか」(しずく)

「必ずしも、正解を出すために頑張らなくてもいいと思います」(せつ菜)

「せっかくなら、侑さんらしい曲を聞いてみたい」(璃奈)

 既存の評価軸・他者からの期待に応え、自分を形成するのは人間社会を生きていく上で必要なことです。法律という取り決めであったり、文化という枠組みであったり、家族のしつけという小さなルール。これらを遵守することは自分の外側から要請され、人間はこのルールに従うような自分を作り出します。また、生徒会長のような立場の人間は清廉潔白なことが求められ、そう振る舞うこともある。このように、自分の外側から「こうあれ」と型にはめられる圧力がかけられ、演じることは生きているとままあることでしょう。そうすれば円滑に物事が進むからです。

 しかし、そうして出来上がった自分は本当に自分なのでしょうか?1期8話を見ればYESと言えるかもしれません。ですが、確実に押し殺した自分もいるはずです。押し殺してきた自分の正体、これは僕が以前から衝動と言ってきたものでしょう*2

 作中では「正直な自分」と表されているこれ(=衝動)を隠すことにアニガサキは否定的です。2期3話では、作曲の課題で「求められる音楽」を作ろうと他者からの期待への応え方で悩んでいた侑。このアプローチを修正したのが9人の言葉。衝動に従ってきた彼女らから、「自分のやりたいことをやればいい」と背中を押されるのは説得力があります。このシーンを見て「ああ、僕の知ってるアニガサキだ…」と安心感を覚えましたね。

 

「この世界に、私は私しかいない。うまくできなくてもいい、私にしかできないことを」(侑)

 そして侑のこの言葉。これこそ虹ヶ咲の掲げる個の尊重を最大限端的に表現したものでしょう。このセリフ、聞きながら泣いちゃいました。

 

 唐突ですが人間は何のために生きているんでしょう?先人たちが哲学的・自然科学的なアプローチから様々な答えを出してきたものだと思いますが、僕は「満足するため」だと思っています。快楽主義に属する考え方なのでしょうか。

 アニガサキはこの問いに対し、僕と同じ立場を取っているものと捉えています。その上で、「満足」をするには何をすればよいか?という問いが生まれ、この問いの答えこそが自己実現に当たると考えています。終わることのない自己実現の欲求を充足させ続け、自分自身に満足し続けることこそが良い生き方であると言っている。

 アニガサキにおけるライブ――自己実現は自分に正直になった人間の姿です。それは、他者が定めた基準に適応するように「うそ」をついている自分ではなく、自分が真になりたい自分です。他者に依存せず、自分のやりたい気持ちだけが指針になる*3。つまり、自己実現という生きる意味を自ら創出できるのだと思います。

 生殖の結果、現象として生を受けた僕らにあらかじめ用意された意味なんてないと僕は考えています(それに対する考えが一般的にあることも理解しています)。そういう立場を取ったとき、他人の期待に応えたり、社会的に善とされる人間になることで自分の意味を獲得する手段もあるでしょう。しかし、そのような個性を潰した生き方をするよりも、繰り返し言うような自分が定めた目標へ走り自己実現を行うことの方が幸せなはずです。

 

 世界に一人しかいない自分が、その個性をもって自己実現を叶える。自分の生きる意味は自分で定める。だけど、自分の外側の視点を通して自分を見直すことで、新たに発見できる自分の価値があるかもしれない。これが僕から見た虹ヶ咲2期3話でした。

 

3. おわりに

 2期3話、特にED前の侑ちゃんの言葉が刺さりすぎて絶叫ですよね。

 人間は、自分がしたいことをするべきだと思うんです。意味もなく生まれ、社会からの要請にすり潰されるだけでは悲しいです。(他人に迷惑をかけない範囲で)自分が満足できる生き方を選択する。それが至高なんじゃないかなって。

 

 あとこれ。

 自分を他人の前に晒すとき、様々な自分が生まれると思います。その逆もまた然りで、他人から自分を見られたとき、観測者によって異なる姿に見えるでしょう。他者から見た自分すら様々な色を持ち、これらを受け入れ、新たな自分を発見し続けることが色の混合になるんじゃないかなって。そうして、侑ちゃんの色は虹色であり黒にもなるのかな、みたいな。ちょっと想像がいきすぎた見方ですけどね。

 

 あと、ユニットを組んだ結果について少し分かってなかったり。「ソロのときは自分のやりたい自分、一緒になると新しいことを自分を見つけることが出来る」。ユニット活動は自己実現そのものではなく、新しい自分を見つける活動、または新しい自分を表現する場なのでしょうか。自分の可能性を広げる活動?みたいな。最終的には答えを見つけたいですね。

 

 ボケーっとした彼方ちゃんの顔が好き

*1:社会で形成された「普通の女の子」像を演じる原因となった

*2:1期8話でいう白しずく

*3:2期3話で他者の目という概念が出てきましたが、今回のそれは他者が自分へ評価を下すものではありません。ただ、事実として他人からどう見えているかというものです