釣り堀

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【タグ企画】僕がラブライブ!を追いかける上で大切にしているもの

 このところやけに日差しが熱いと思ったらもう7月なんですね。今年の梅雨はあまり雨が降らないので「夏が来る!」と身構える暇もなく、シームレスに季節の移行をするらしいです*1

 そんな7月も目前に迫った今、月末には『ラブライブ!』の誕生日があるようです。去年までラブライブのオタクではなかった僕としては初耳でしたが、ずっとシリーズを追ってきたオタクにとっては周知の事実かもしれませんね。そこで、Twitterでフォローしている方の一人がその日に合わせてタグ企画を考案してくださったので今回はそれに乗じた記事になります。

詳細は↓

 

 ラブライブ!』を追いかける上で大切にしているもの。なるほど、難しいねですね。というのも上述の通り僕は去年から、正確に言うとアニガサキからラブライブコンテンツにハマったオタクなので、まだそういった信条が醸成しきれていないような気がします。今はただがむしゃらに供給についていくのが精一杯で。

 でも”アニメ”を見て強く感銘を受けた要素は多々ありまして。本来の趣旨とはズレてしまいますが、今回はそれら3つを挙げて文章にする形式にしたいと思います(勝手なルール変更申し訳ないです!)。ラブライブのアニメで好きな要素、”大切にしているもの”から当たらずも遠からず、ギリギリセーフ判定ということで……。

……

………

気を取り直して。

 

 それではさっさと本題に入ってしまって、僕がラブライブのアニメで好きな要素はこちら3つになります!

「瞬き」「循環」「パッション」

恐らくこれで僕が何を言っているのかピンとくる人はそんなにいない気がします。なので、今回の記事は読んだ人にこれら3つの単語へ込めた”好き”を伝えられることを目標にしていきましょう。

 さて、前フリが長くなりました。ここから本当に本文です――。

 

 

「瞬き」

  これは『サンシャイン!!』を強く意識した言葉選びになっていて、一瞬の輝きとも換言できます。サンシャインで千歌ちゃんが常々口にしていた「輝き」を指しており、特に「今しかない瞬間」を輝こうとする姿勢に美しさを感じたという意図を込めてこの言葉を選びました。

 スクールアイドルをやる上で唯一と言ってもいい条件、それは「学校に所属している」こと。高校生の間でなければならない時間制限。この「今しかない」制限が彼女らを必死に輝かせ、青春という尊い瞬間の価値を高めるのです。僕はサンシャインのこの姿勢、その魅力を端的に表すものとして「瞬き」を1つ目の言葉に挙げました。

補足:サンシャインを意識してこの言葉を選びましたが、初代もこのテーマを持っているはずです。因果関係が逆で、初代の持つ「青春」のテーマをサンシャインでは殊更前に押し出したのだと思っています。

 

 自覚的か無自覚的だったかは分かりませんが、千歌ちゃんは人生で3年間しか与えられない高校生活の尊い時間を存分に楽しもうとしていました。自覚的だったかどうかとは、本当にその尊さの意味を理解していたか?という部分です。これは僕の想像ですが、きっと千歌ちゃんは2期13話のラストまでこれを分かっていなかったんだろうなって思います。言い方を変えればWONDERFUL STORIESの瞬間にやっとそこまでたどり着けた。

 青春はかけがえのない時間。この一般論は普通に生活していたら刷り込まれる常識的な概念でしょう。千歌ちゃんも知識的にはこの事実を認識していたはずです。でも、僕はこの一般論の本当の意味は自身で経験してみないと知ることのできないものだと考えています。というのも、僕自身が中学校・高校を卒業し初めてあの時間の尊さを知ることができたからです。一度過ぎ去ってしまえばもう手の届かない他愛のない日々。友人と目的もなくぐーたらと過ごしていた、当時は無意味と思っていた時間すらも含めて全てが愛おしいのです。この感覚は、過ぎ去り・終わってしまった今だからこそ分かるものです。青春ってきっと現在進行系で感じられるものではなく、終わってから分かる完了形な概念なんでしょうね。

 

 サンシャインは千歌ちゃんがここまで到達するお話だと捉えています。上に書いた通りWONDERFUL STORIESが千歌ちゃんの到達点で、ここでやっと今までの時間全てが大切だったと自覚するのです。スクールアイドルとして結果を残すとか、μ'sの足跡を追うとか、特別なことだけが輝きなのではなくて、それに向かって必死にもがいていた過程こそが輝きだったんだ、と。26話かけた末、ラスト2分でこれをキャラクターに自覚させてモノローグを流すやり方、完全に負けました。このモノローグ1つでサンシャインを今ほど好きになったと言って間違いないです。

 やっぱり青春って完了形なんだと思います。だからTVシリーズで全てをやりきった最後の最後でこの答えを持ってきた。

  青春は完了形な概念と言いましたが、これは青春に終わりがあるからこそ発生する考えです。入学に始まり卒業に終わる。時間が限られているから、人生で一度しか与えられないから尊い。この作品の思想に強く共感し、それを描く手法(最後の最後に自覚させる)に感動を覚えたので、話は戻って僕は「瞬き」を選んだという文章でした。

 

 

「循環」

  こちらは『虹ヶ咲』を強く意識した言葉です。僕は虹ヶ咲最大のテーマに「夢を与える・応援する」があると思っていて、「循環」はこれを体現する要素です。夢を与える・与えられる、背中を押す・押される、応援する・されるなどなど……。象徴的なのは、

1話:せつ菜(=スクールアイドル)→侑(=ファン)

3話:侑→せつ菜

12話:せつ菜→歩夢

13話:歩夢(=スクールアイドル)→侑(=ファン)

のようにグルグルと関係が循環しているところです。一般性を持たせた言い方をすれば、アイドルとファンでキャッチボールを続けて最終的にアイドルはファンへ夢を与え応援する立場になっています。

 個性を大切にして、個人(=自分)のやりたいことを最大限尊重するこの作品の帰結が他者へ向かったものなのってすごく綺麗じゃないですか?少なくとも僕はそう思ってます。この結末が描かれた13話があったからこそ、虹ヶ咲は数ある好きなアニメの1つからオールタイムベストアニメの片割れにまで僕に食い込んできたんだと感じています。

 

 ラブライブシリーズにおいて、アイドル→ファン方向の矢印がここまで強調されるのは恐らく今までなかったことです。主格をアイドルからファン(侑)にシフトさせ、僕ら(ファン)と一致させたのも新しい試みです。僕の知る限り、この手法を使った作品自体珍しく『推し武道』ぐらいしか思いつきません。プロデューサーや裏方に徹する人物を主人公とした作品は『アイマス』を筆頭に多々見られるものの、純粋なファンをこの位置に置いたものはそうそうないはず。今やアニメ界においてアイドルコンテンツを牽引する立場であるラブライブがこんな挑戦的なことをするのは驚きでした。

 見る角度によっては、虹ヶ咲は僕らをこの循環に引きずりこんだアニメとも言えます。僕はこのアプローチが最大限に活きたのは3rdライブの夢がここからはじまるよなんじゃないかなって感じています。あの瞬間、僕らがファンとして侑ちゃんを媒介に作品へ参加していた形から、”僕ら自身”が虹ヶ咲に参加する形に作品との関係性が変質しました。これはアニメと現実をリンクさせコンテンツを展開させてきたラブライブだからこそできたことです。キャラクターと声優が一体であるから、あのライブで僕らは同好会を応援するファンの一員になれた。

 

 僕はかなり強くアニメと現実を区別してきて、キャラクターと声優は絶対に交わるものでないスタンスでオタクをやってきました。それが壊されたわけです。今まで長く取り続けていた姿勢を崩され、新しいオタクコンテンツとの関わり方を知りました。それは虹ヶ咲の「循環」によるものです。循環の一部に自分自身が組み込まれキャラクター・声優を応援し、3rdライブではあちら側からお返しをされた。お返しをされるって言うと中々傲慢な物言いになりますがこれが虹ヶ咲の循環に取り込まれることの意味だと思ってます。

 話の筋が最初とズレてきているような気もしませんが、言いたいことは概ねこれです。ラブライブの中の特に虹ヶ咲のオタクと自負している自分は、これからも作品がぐるぐると巡らせている循環の渦の一部としてコンテンツを楽しんでいければと思います。あれ、もしかして図らずもラブライブ!を追いかける上で大切にしているものの文章になったのではないでしょうか?

 

 

「パッション」

  これはラブライブシリーズ全てを意識した言葉です。恐らく全てのシリーズの根底に置かれており、これを基にアニメが作られているような感触があります。やりたい気持ちとか、トキメキとかそういう形で言及されていたものを一般性の高い言葉で表したものが「パッション」です。初代からリアルタイムで追ってきたシリーズではありますが、明確に気づいたのは虹ヶ咲を見てからなんですよね。

 やりたい気持ちから目を背けるなとか、ワガママではなく自分に正直って言うんだよとか、何かをしたい自分の気持ち=パッションを大切にしている言説はそこかしこで散見されます。上述のようにこれは虹ヶ咲だけの性質ではなく初代から貫かれている姿勢です。きっと、従来シリーズからのオタクにとっては当たり前の事実かもしれません。でも、僕にとってこの気付きこそがラブライブシリーズ全体を好きになれたきっかけです。『ラブライブ!シリーズ』が視聴者に向けて発信し続けてきたこのメッセージはとても優しく温かいものだと思います。

 

 自分のやりたい気持ちこそが従うべき指針。これってすごく勇気をもらえませんか?何かを始めるきっかけがあったとき、様々な事情からそれを自制しようとする心の働きが発生するシチュエーションは普段生活をしていても珍しくありません。そんな中でこの作品群から感じたモノを思い出せれば、きっと背中を押す手助けになるはずです。

 ラブライブは創作物です。でも、創作物が現実を生きる自分に影響を与えることって往々にしてあることだとも思います。虹ヶ咲の循環に自分が組み込まれたように。ラブライブシリーズには現実の僕らの手を引っ張るだけの熱量・パッションが込められています。だから、ラブライブから背中を押されることってそう変なことじゃないです。だから、これから僕は劇中の彼女らのように己のパッションを信じていこうと思います。あれ、もしかしてまた図らずもラブライブ!を追いかける上で大切にしているものの文章になりました?

 というわけで、手始めに金銭面にどうにかなる目処が立っていないQU4RTZのファンミに応募してみようと思います。ライブに参加したいっていう自分のパッションに従ってね――。

*1:これを書いてる日以降の天気予報は雨なので、もしかしたら投稿当日は梅雨らしくなっているかもしれませんね