釣り堀

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虹ヶ咲2期6話『“大好き”の選択を』感想 - 大好きを全部叫ぶ

 2期6話は初めてアニガサキをお台場で視聴しました。他のオタクと一緒に見ていたのですが、感動のあまり泣いてしまうなど…。色々と感じるものの多かった話です。

 色々考えて、今の僕なりに2期6話の見方を固められたと思うので書いていきます。

 

前回の↓

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1. 「大好き」を全て叶える

 サブタイトルにもある今回のキーワード「大好き」。いや、今回と言わずアニガサキを縦に貫く重要な柱です。2期6話は提示された大好きを全部叶える欲張りなエピソードでした。

 この欲張りさは今に始まったことではなく、既に1期で示されていたものです。第1回スクフェスの開催に当たり、かすみんボックス一杯になった要望を全て叶えると宣言したあとのときから何も変わっていません。このアニメはずっと、やりたいこと=大好きを全て実現させていくアニメでした。

 ただ、今回はスクフェスと文化祭の合同開催という巨大な欲張りだけでなく、一人が持つ複数の大好きを全部選び取るというミクロな、だけども非常に大きな選択をしたのです。一人では不可能だった合同開催(スクフェスに立つせつ菜と文化祭をまとめる菜々を両立させる機会)を周囲の助力により実現する形で。

 ミクロな視点的にはせつ菜にも菜々にも彼女らを支えてくれる人たちがいたことの確認。マクロな視点で見ると、誰かからの助けが自分のトキメキを前進させる糧になることの再確認。

 マクロな意味について。第1回スクフェスで、スクールアイドルはファンの背中を押す存在だと定義されました。2期6話は、そんな背中を押された人間が、大好きを叶える具体的な例として彼女を描いた意味を持っていると考えています。加えて、会議に集まった他校のスクールアイドルだけでなく、生徒会を始めとする菜々を取り巻く人間すら背中を押す役割を果たしているのは示唆的に感じます(考え過ぎかもしれませんが)。今後、侑のエピソードで効いてきそうな気に留めておきたい事柄ですね。

 

 とにかく、このアニメは芽生えたトキメキを全て叶える作品です。夢が僕らの太陽さの歌詞にもありますよね。話が侑ちゃんのターンに戻ったとき、彼女がどういった形でこれを実現させるのか、そこに2期の答えがありそうです。

 

 全部選択することもまたアニガサキが持つ肯定の姿勢の象徴です。ランジュはやりたいことを1つ見つけたなら、それに向かって全力で走るために余計なものは削ぎ落として進めと言っています*1。対してアニガサキはたくさんのトキメキが芽生えたなら、それを全部抱えればいいじゃないと言ってくれている。本当にこのアニメは優しいですよね。

 

2. 大好きを叫ぶ

 「せつ菜=菜々」*2の話です。2期6話で僕が出した結論は「優木せつ菜を隠す必要がなくなったから、中川菜々を知る人物にも開示した」になります。

 この見方をするため受け入れてほしい事柄が

①アニガサキは自分の大好きを積極的に表現することを良しとしている
②中川菜々は周囲の期待から形成された

になります。①は僕がアニガサキを見る上でかなり重要な部分だと感じています。まだ未確定ですが、前も書いた通りアニガサキ2期は自己表現の物語ではないかと勘ぐっていて、そこに繋がりますね。

 

2.1 アニガサキは自分の大好きを積極的に表現することを良しとしている

 まず①。そもそも、せつ菜であることを明かすことって必要だったのでしょうか。せつ菜は「中川菜々」とは無関係な「優木せつ菜」であってもスクールアイドルとして人気を獲得し、謎の存在として注目を集めていました。隠していても何らデメリットが存在しないわけです。ですが彼女はその平衡状態を打ち破りせつ菜であることを示した。

 これが何を言っているのか。僕は上述の通り、アニガサキというアニメは自分に嘘をつかないことを要求するばかりか、それを表出させることを是としているのだと受け取りました。自分を表現しろと言っているのです。2期3話で侑が音楽を奏でることで自分にしかできない表現をしたように。

 踏み込んだ見方をします。ならば、自己表現をしているスクールアイドルたちがこぞってライブをするのも頷けるようになります*3。今までこのブログではライブを自己実現の場と表現してきました。ですが、2期の最後まで考えが変わらなければこの表現をもう少し厳密に「ライブは自己実現した姿を表現する場」と変えることになります。"ライブ"はスクールアイドルの場合であって、侑であれば"音楽"、また違ったトキメキが芽生えたなら異なる表現方法があるでしょう*4。……今はまだ与太話の域を出ませんが。

 

2.2 中川菜々は周囲の期待から形成された

 次に②。「せつ菜=菜々」の本質は間違いなくせつ菜にありました。

「期待されるのは嫌いじゃなかったけど、1つくらい、自分の大好きなこともやってみたかった」(1期3話, せつ菜)

 自分に嘘をつかない真になりたい自分。1期3話時点では、せつ菜はそうした「せつ菜=菜々」の大好きが表れた姿として描かれていました。せつ菜こそが彼女本来の姿であると。

 対して菜々は周囲からの期待を受け入れ形成した姿です。それはアニメを禁止し、勉学に励むよう応援をくれる家族からの期待。生徒会長としてみんなのために仕事をこなし、好ましい人間であることを望む生徒からの期待。これらを受け入れ、そう振る舞っているのが菜々でした。1期8話で言えば理想のヒロインを演じた白しずく。

 つまり、菜々という人物は周囲の期待に応えるためにいる。せつ菜を隠す理由はここにありました。「せつ菜=菜々」はせつ菜を出すことで菜々に向けられる期待を裏切り、失望させてしまうと考えたから正体を秘匿し、謎のスクールアイドルとして活動してきたのです。

 

2.3 せつ菜と菜々の統合

 ですが、せつ菜にも菜々にも変化が起きました。ここから書くことが僕の考える2期6話の答えです。

 

 せつ菜に生じた変化について。これは環境の変化です。初めは純粋に自分の大好きを叫び、ファンに大好きを届けるためにいたせつ菜。しかし、第1回スクフェスでスクールアイドルはファンを応援すると言いました。また、栞子の言うようにせつ菜は人気を獲得し、生徒達から好ましく思われる存在にもなりました。これは、菜々に求められるものをせつ菜がクリアしていることを示しています*5

 菜々に起きた変化は心境の変化です。菜々の存在が、「せつ菜=菜々」の大好きに変化した意識の変容。みんなのための菜々を好ましく思えるようになったのは、きっとせつ菜のおかげです。スクールアイドルせつ菜が抱いたみんなにお返しをしたい・応援したい気持ちが菜々にもフィードバックされ、そのためにいる生徒会長の自分を好きになれたのかもしれません。つまり、せつ菜の感情が菜々にも染み出している。

 

 菜々に求められるものをせつ菜も提供できるようになり、せつ菜の大好きが菜々にも伝播した。

 換言すると、周囲の期待に応える菜々の役割をせつ菜が果たせるようになり、大好きを叫ぶためのせつ菜の役割を菜々も果たせるようになった。

 

 もう二人を分ける必要がないのです。互いが互いの役割を全うでき、「せつ菜=菜々」の大好きは場所を選ばず発散できるようになったのです。

 図で示しましょう。分かりますかね?内側の円は"私"=「せつ菜=菜々」という人格のコアを、外側の円は対外的に表出するせつ菜または菜々という人格を表しています。周囲の目がある中でせつ菜を出すか、菜々を出すかを彼女は選択的に演じてきました。

 "私"から発せられる形のない大好きの感情(=衝動)はスクールアイドルの形と、生徒会長の形を取っています。衝動が2つの形をとる中で、優木せつ菜の形をした大好きは、それが中川菜々と同じ"私"から発せられたものであることを同好会の前でしか明かせませんでした。なぜなら、菜々に向けられた期待に応えられる姿ではなかったから。家族と生徒たちにはせつ菜を隠していたんですね。

 しかし正体を明かしてからはせつ菜と菜々は統合され、どちらも"私"であり、区別することがなくなりました。自分の大好き(図の実線矢印)は、全て、誰に対して向けても大丈夫なようになったから。彼女はもう何も隠さず、自分の大好きを存分に叫び、自己表現するのです。

 

3. スクールアイドルとその他の垣根

 これはL!L!L!を念頭に置いたアニガサキの見方の話です。

 スクスタではスクールアイドルを応援することすらスクールアイドル活動だと、スクールアイドルの概念を拡張しました。アニメでは似たようにスクールアイドルとその他の生徒の垣根を壊そうとしているように感じます。

 それは文化祭とスクフェスの合同開催が顕著な例。文化祭も一般生徒達のやりたいことを表現する場としてあり、その本質はスクフェスと何ら変わりがないのです。ただ、表現方法がライブであるか否かというだけ。スクールアイドルと一般生徒の両者共、自分のやりたいことのために動いているのは同様です。

 予想記事で、2期で発生するかもしれない思想として挙げた「トキメキに向かって全力で走る・誰かを応援する姿勢こそがスクールアイドルという生き方である」の「トキメキに向かって全力で走るのがスクールアイドルという生き方である」はあながち見当外れなものではなくなるかもしれませんね。

 

 また、カメラを持つシーンが2期6話では目立っていました。かすみ・愛・璃奈などスクールアイドルがカメラを持つこと、ファン・みんなである一般生徒と侑が被写体になること。本来ならばファン側がカメラを構え、スクールアイドルが被写体になるのとは逆転が生じています。これもスクールアイドルとその他の区別を希薄にするような意図を感じますね。

 以前、スクールアイドルとファンの境界は、自分とそれ以外の間で引かれ、スクールアイドルですらファンになり得ると書きました。今度はファンですらスクールアイドルになり得るとアニガサキが言っているような気がしてならないのです。文化祭で自分の大好きを表現する一般生徒は、もうスクールアイドルなのかもしれません。

 ……この考えもまた、2期を最後まで見ないと分からない妄言ですけどね。

 

4. おわりに

 2期3話に続き、今回もアニガサキの優しい思想を感じられました。すべて選択していい。トキメキが芽生えたファンへのこの上ない肯定です。

 保留し続けた侑ちゃんからランジュへの返答もまだ提示されていません。これはきっと2期のコアとなる思想が含まれ、それもまた優しいものなのでしょう。どうなるかは全く想像できませんが、なんにせよ変わらずこのアニメのことが好きです。

 

 Infinity!Our wings!!はもう曲調がはちゃめちゃ好きで、歌詞も刺さりまくって、口上で泣いちゃいます。自分の好きなこと・可能性とかくれんぼしたとしても、全部それを拾い集めて叶えていいんですよね…。映像も綺麗だし、完全に好きになっちゃった。

 

 色々あったけど、2期6話本当によかったです。

 

  

 もはや何も言うまい

*1:侑の場合は両立できていないので事情が異なるけども

*2:この記事ではせつ菜と菜々の使い分けが重要になってくるので、せつ菜と菜々を作り出している人間を指す記号として「せつ菜=菜々」用います

*3:スクールアイドルなのだから、ライブをするのは当然であるが

*4:この答えに落ち着いたとしたら、僕らには何が出来るだろうか?

*5:みんなのために働きかけ、好ましく思われる存在

虹ヶ咲2期5話『開幕!ドリームランド↑↑(*'▽')』感想 - トキメキが芽生えたファンはどうするべき?

 みなさんGWはいかがお過ごしですか。TLでは遠出をしているオタクがたくさんいて楽しそうだな~、なんて思いながらTwitterを眺めています。僕は地元の友達と会ったり、卒業したサークルの友達と集まったりしたぐらいです。お金があれば旅行したかったな…。

 さて、最新話の2期5話は休憩回の色合いが強い回だったのではないでしょうか。かなりパワーのある萌えアニメで、強い萌えを備える虹ヶ咲のキャラクターにこういうアニメをやらせたら流石に強いな…と唸るばかりでした。萌えアニメ部分について書こうと思えばいくらでも書けてしまうのですが、この感想ブログはそういう趣旨ではないので、今回はランジュと侑ちゃんの会話をピックアップしていきましょう。

 

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1. ファンはアイドルに夢を重ねる

 虹ヶ咲というコンテンツはファンを主人公に据えることで、作品のメッセージが直に僕らへ届くような構造になっています。その上でランジュの「周りに自分の夢を重ね合わせてるだけ。何も生み出してない」の発言が出てくるのってかなり攻めてますよね。

 僕はアイドル文化に明るくないですが、そもそもここらへんのコンテンツってアイドルに自分の夢を重ねる(≒託す)性質のものだと認識しています。木っ端アイドル時代から応援を続け、大きなステージに立つまでのサクセスストーリーに価値を見出したりするのなんかは典型だと思います。頑張るアイドルに自分を重ね合わせ、成功への道を応援する形でファンである自分も満足感を得る。道のりをいかにドラマチックに演出できるかが商品価値にも繋がるような文化。あくまで僕の偏見で実際は異なるかもしれませんけどね。

 ランジュの言わんとする事ってアイドル文化の根本的な否定に繋がりかねないものだと思います。それを言ってしまうのがカウンターというかオルタナティブな存在の虹ヶ咲っぽいなとも思ったり。ランジュの発言がそのまま虹ヶ咲の主張と受け取っていいのかまだ判然としない段階ですが、虹ヶ咲から発せられるメッセージを自分に内在化させる見方をしているオタクは相当刺されたのでは?

 対する侑の回答はまたもや「保留」で、侑が正しく道を歩めているのかも未だ不明です。この不透明さは僕らに答えを用意させる猶予の時間なのか、それとも躓きの前フリなのか。

 

 また、しずくの「私は自分だけで満足して、結局何も生み出せていないんです」も気になりますよね。ランジュと同様に何かを生み出すことを作品から求められているような発言です。ファンはファンのままでいてはいけないのか?今回提起された最も大きな問題じゃないですかね。

 侑の場合ならば音楽という成果物を使って自分を表現すればよいですが、ファンとスクールアイドルの一般的な関係にまで拡張して言及しようとするならばどんな答えが出されるのでしょう?僕には分かりません。

 

 とにかく、やはり2期の主題はファンとスクールアイドルの関係性を再度問い直し、トキメキを受け取ったファンはどうするべきなのかを描く物語なんでしょう。今回まで入念に蒔かれた種が来週以降どんな形で花を咲かせるのか気になりますね。

 

2. おわりに

 ジェットコースターや高いところが苦手な侑ちゃんかわいすぎ。意外な一面ですよね。青ざめ侑ちゃんもまた良し…。

 

 今週はどのカットのどの子も顔面偏差値が高い回でしたが、優勝を決めるならここを選びたいです。声と相まってめっしゃイケメンでした。

 

 この画がすごく好き

虹ヶ咲2期4話『アイ Love Triangle』感想 - 自分を信じ抜く話かもしれない

 昨日は暑いぐらいだったのに今日は少し寒い。寒暖差で体調を崩しそうな季節の変わり目。昨日は起きたらあまりにいい天気だったので車にガソリンを入れ、山道をグルグルとドライブしていました。

 さて、昨晩放送された虹ヶ咲2期4話。美里さんが抱く心情の移ろいと、スクールアイドル愛の在り方が重要なんだな~と思いつつ、美里さんの感情があまり分からなくて困っちゃいました。置かれた環境が僕と違いすぎて想像もできない領域だったので…。

 

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1. 誰も傷つけない人はいない

「誰も傷つけないなんて、そんなこと出来る人いないわ」(果林)

 人が人間社会の中で生き、相互に繋がりを育むなら、自分が望まぬ方向に物事が進むことは当然のように起こる。他人と自分は置かれた環境も、持っている価値観も、何もかも違うから。

 1期2話のように、人間同士の距離が近づきすぎたため生まれる軋轢は分かりやすい。そうでなくとも人間は他者に影響を与える。そこには相互作用すら必要ないのかもしれない。テレビを見て、画面に映る彼ら彼女らから何かを受け取ることもあり、これは一方的な関係だ。

 表現者であるスクールアイドルは、自分が御しきれる量を遥かに超えた繋がりを抱えている。その繋がりの先の全てへ思い通りの影響を与えるなんて願いは絵空事に等しい。

 

「それでも、太陽みたいにみんなを照らせる笑顔が、あなたにはあるでしょ」(果林)

 続くこの言葉を聞いた愛は何を思ったのだろう。

①自分のパフォーマンスへの信頼
②現実の受容

 たぶん、①なんだと思う。結果論で言えばこれが正解だった。自分が楽しいと思えるパフォーマンスを、最高の自分を見せつけることで大きな影響を与える。愛はそういうライブを目指してきたし、結果的にはうまくいった。

 これは何を意味するのだろう。アニガサキは自分のなりたい自分を信じろと言っているのか。今までの僕の読み方に従うなら「そう」と思う。今までだって散々 自己実現の綺麗な部分だけを見て、現実に即したら瓦解するような夢物語像をこのアニメに押し付けてきた。だったらそれを貫くのが筋だろう。ならば、僕から見た2期4話は、「自分のなりたい自分を信じて己を高め続けるなら、物事は自らの望む方向へ運んでいく」になる*1

 この記事ではこれだけ言っておきたかった。僕の見方が大きな矛盾を孕んでいることに気づくまで、僕は僕が見たいアニガサキを見ていく。

 

 ②は少し穿った見方になる。自分を観測する人間の一人にまで美里さんを還元してしまうものだ。自分は自分の信じたライブをする、それに美里さんがついてこられるかどうかは分からないという姿勢。美里さんは既に特別な人から外れ、愛は自分を見て楽しんでくれる者だけを連れて自己実現を叶えていく*2

 閉じた答えだと思う。「誰も傷つけない人間はいない」現実を受け入れ、自分の手が届かない範囲についての言及をやめる。僕らの世界ならその生き方が正しいものだと思う。だけど、物語の世界に生きる愛の答えとしてはあまりに寂しい。

 

 実はこの答えは作中で否定されている。そもそも、そんな在り方は今まで築いてきた愛のキャラクターに反する。手が届かなくても、手を伸ばす①の姿勢こそが愛だと僕は思う。自分の選択した照らせる範囲だけを照らすのは太陽なんかじゃない。

 自覚か無自覚か関係なく、太陽は周囲の全てを照らしてしまう。時にはそれに灼かれてしまう人もいる。「それでも」、愛は人を笑顔にするため輝き続ける。ライブを見てもらえれば、自分の伝えたいことをちゃんと伝えられると信じて。

 また、同好会のライブはスクフェスの時よりもさらに開かれている。オンラインライブのことだ。自分の影響の及ぶ範囲をさらにさらに広く・遠くすることで人々を笑顔にする。(恐らく)ライブへ足を運んだことがなく、その気力もない美里さんへ手を伸ばすために。そして、未だ自分に興味の薄い(遠い)人間*3を引き込もうと自分の持つ重力を大きくするために。

 

 この話の意義は何だったのか本当はよく分かってない。無自覚の内に誰かを傷つけている現実を突きつけても、それでも前へ進めと言っているのか。

 スクールアイドルの彼女らが表現者であるならば、確かに避けて通れない問題かもしれない。自分を見ることで快く思う人間しかいないはずがない。その現実を知ってなお進んでいくことが、自分に正直になりやりたいことをやることが是であると改めて宣言する話だったのかもしれない。美里さんがスクールアイドルのファンになったのはこのアニメの優しさ(ウソ)だろう。

 

 スクールアイドルがファンにトキメキを与える話であったかもしれない。今回の場合は「美里さんの例」をピックアップして。会場まで足を運ぶまで惹かれていない、そもそもファンですらない人間*4をオンラインライブという長距離射撃によって撃ち抜く。1期の頃から言っていることは一貫していて、スクールアイドルはファンにトキメキを与える存在であり、今回はその射程を伸ばす手段を提示する役割もあったかもしれない。

2. やはり人間は相互作用の中で生きている

 あまりアニガサキには関係ない話題。スクールアイドルとファンの関係というより、愛と美里さんの関係の話。

 他人は鏡だっていう考え方がある。相手の自分に対する態度は、自分を映す鏡になる。自分が相手に善く接すれば良い反応が得られるだろうし、そうでなければ悪い反応が返ってくる。簡単に言えばこんな鏡。

 ただしこの鏡は現在を返すだけでなく、過去の姿も映す。幼少の愛を照らした美里さんを、現在の愛が照らし返すように。人間同士の相互作用は必ずその過去が考慮され、現在だけを考えるものではない。他人を好きになるのもそうでなくなるのも、過去の積み重ねがあるから。

 1期13話の夢がここからはじまるよ前のセリフもそうだろう。今まで侑が支えてくれたから、同好会も侑を応援する。このブログでは「お返し」と表現してきたもの。

 

 この概念が今後 虹ヶ咲に関係してくるかは分からない。だけど、人間同士の相互作用という点に注目してアニガサキを見る必要があると思う。そんな思考のメモとしてこの文章を残しておく。

 

 果林がああやって愛を焚きつけるのは面白かった。仲間でライバルを意識するキャラクターであるし、1期5話でエマに引っ張られた人間でもある。

 同好会の多くは1期で誰かからの助けを得て成長してきた。「誰かからの助け」という入射光が、また他の誰かへ反射していく。これもある意味 鏡かもしれない。

 これは、他者の思考を内在化し、新たな自分とすることの換言になる。この関係が有機的に絡み合い、ファンとスクールアイドルという複雑なコミュニティを形成しているのだ。

 

3. おわりに

 今週は忙しくて平日に感想を書く余裕がなさそうだったので今のうちに書きました。あまり見返せておらず、言及したかった事柄を飛ばしてしまったかもしれないので、そこに気づいたら加筆しようと思っています。構造的な話をほぼできなかったし。

 

 ユニットの形はユニットごとに違う。また、ユニット活動はソロの自己実現のための足がかりとか、手段であると今のところは思っています。A・ZU・NAでどうなるのか気になりますね。

 DiverDivaはお互いを高め合い、競争心を失ってしまった人間を再度焚きつける相互作用の形だった。自己実現は自身のために行われるものだが、一人でできるものではないという例示。

 

 2期はたくさんの「あなた」がネームドキャラとして登場していると思う。もしかしたら、様々な「あなた」の形を通して帰納的にファンとスクールアイドルの関係を描こうとしているのかもと考えたり。

 

 前半に話を詰め込んで既存メンバーの見せ場を終わらせ、後半に何があるのか少し怖いです。文化祭とスクフェスの合同開催。字面からもう大変な話になりそうですが、1期のときのように情緒を破壊されるようなお話が出されることを期待しています。

 

 他人に寄り添う人間になった天王寺璃奈、僕は……

*1:自己実現への絶対的な肯定だろう

*2:ネガティブな1期12話かもしれない

*3:ミア・テイラーもそうだろう

*4:楽しむ準備ができていない人

虹ヶ咲2期3話『sing! song! smile!』感想 - 他者から見た自分・自分の価値

 本格的に学校が忙しくなり始め、就活中にできなかった分を取り返そうとバイトに入っているとどうにも時間が足りません。日々 虹ヶ咲について考えているものの、放送されてから1週間以内に感想を書くのは厳しいなあ、なんて思ったり。

 毎週更新は目標として掲げているものではありませんが、こうしてこまめに認識をアップデートしていくことで、最終的に2期全体の感想を書くときに楽かなと思って続けています。1期のときはだいぶ苦しんだので…。

 

 2期3話についてですが、かなり難しく感じました。それでも頑張って書いていこうと思うのでよろしくお願いします。

 

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1.  他者から見た自分

 今回は他者について焦点を当てる話でした。1期にも6~9話のような「他者と関わる自分」のエピソードがありましたが、2期3話はそれらと少し違う題材だったように思われます。

 1期6~9話で他者は

6話:繋がりたい対象

7話:支え合うもの

8話:自分を縛るもの(自分以外の人間*1 )

9話:背中を押してくれる存在

のように描かれました。これらはいずれも自分から見た他者像です。

 対して2期3話は、他者から見た自分像についてスポットライトが当てられました。同好会9人から見た侑と、QU4RTZ同士のことですね。正直、虹ヶ咲でこの視点が出てくるのは意外でした。

 

 というのも、アニガサキ1期に対してのイメージが他者の視点からの脱却だったからです。これは「ラブライブなんて出なくていい!」を根拠とした考えです。「他人が用意した基準から良く評価されるために、自分のやりたいことを我慢するぐらいなら用意された基準の方を捨てる」話と受け取っていたからです。

 自分を評価するのは自分自身自己実現ができているか否かのみが自分を測る指標。つまるところ上で書いた他者の視点からの脱却。これが僕の思っていたアニガサキ像でした。

 しかし、今回は他者の視点という概念が明らかに導入されている。当初は「自己実現」と「他者から見える自分」という2つの概念が同居することに戸惑いを覚えました。なぜなら、自己実現は自分自身で完結するものだと考えていたから。でも、そう悩むものでもないのかもしれませんね。

 

 まず、自己実現と他者の視点は相反するものではありません。「えっそれはそうでしょ…」って声も聞こえてきそうな結論ですが、悩んだ末の答えがこれなので仕方ないです。いくら他者の用意した評価軸を放り投げて自己実現に勤しもうと、自分が他者から見られている事実は揺るぎません。ましてやスクールアイドルという、ファンがいなければ成り立たない存在であればなおさらです。

 また、他者の視点が導入されたことにより、ライブが自己実現の場であると同時に、自己表現の場であることも明らかになったように感じます。1期の頃から自己実現に一歩 近づいた自分を見せるシーンではありましたが、それが物語の構造的に明確な目的となったというか。2期1話のランジュを見てそう思ったのもありますし、2期3話ED前の侑の言葉からはっきりとテキストとして現れたのも根拠。

 自分を表現したいなら、その受け手からどう見えているかというのは大切な部分です。自己表現の物語をやりたいから他者の目を意識するようになったのか、それとも逆かは分かりませんが、この両者が2期のキーになるような感じがします。表現者であるなら他者から見える自分を意識する必要があり、こうなると僕の1期像と乖離し始めるのでイメージを更新することが求められるでしょう。

 

 ただ言えることは、他者から見た自分は今の自分をアップデートする材料になるということです。自分から見た自分と、他者から見た自分が異なるのは当然ですが、このどちらも自分であることは変わりません。自分の知り得なかった自分を知覚することは、常に自己をアップデートしていく自己実現において影響は小さくないように思われます。侑が9人からのアドバイスを受けてNEO SKY, NEO MAP!を生んだのもこの影響でしょう。

 今回は触れませんが、やはり人間同士の相互作用が重要な要素になりそうです。

 

補足:他者から見た自分を通じて自己を振り返ることにより、何か新たなものを創発するという考え方が既にあるそうです。「創発的内省」で調べてみるとそれっぽい文章が出てくるかも。「自分を振り返ること」と「新たなものを創発」できることにどのような因果関係があるのかはうまく言語化できません。しかし、自分の知らない自分を知ることは、なりたい自分像に影響を与える事柄であるとフィーリングで理解できます。他者の視点を入れることにより、既存の自分を見直し、自分の認識する自分を拡張する可能性を見つけ出せる。これは同好会に属する強い理由になるはずです。

 

 どんなに完璧な人間でも、一人では他者から見た自分を知ることはできません。ここがランジュを攻略する鍵なのかもしれませんね。

 

2. アニガサキは自分の価値を自分で決めるアニメ

 僕が最もアニガサキに惹かれるところです。

「侑ちゃんのやりたいことをやってみたらいいと思う」(歩夢)

「大事なのは侑先輩が満足できるかどうかじゃないでしょうか」(しずく)

「必ずしも、正解を出すために頑張らなくてもいいと思います」(せつ菜)

「せっかくなら、侑さんらしい曲を聞いてみたい」(璃奈)

 既存の評価軸・他者からの期待に応え、自分を形成するのは人間社会を生きていく上で必要なことです。法律という取り決めであったり、文化という枠組みであったり、家族のしつけという小さなルール。これらを遵守することは自分の外側から要請され、人間はこのルールに従うような自分を作り出します。また、生徒会長のような立場の人間は清廉潔白なことが求められ、そう振る舞うこともある。このように、自分の外側から「こうあれ」と型にはめられる圧力がかけられ、演じることは生きているとままあることでしょう。そうすれば円滑に物事が進むからです。

 しかし、そうして出来上がった自分は本当に自分なのでしょうか?1期8話を見ればYESと言えるかもしれません。ですが、確実に押し殺した自分もいるはずです。押し殺してきた自分の正体、これは僕が以前から衝動と言ってきたものでしょう*2

 作中では「正直な自分」と表されているこれ(=衝動)を隠すことにアニガサキは否定的です。2期3話では、作曲の課題で「求められる音楽」を作ろうと他者からの期待への応え方で悩んでいた侑。このアプローチを修正したのが9人の言葉。衝動に従ってきた彼女らから、「自分のやりたいことをやればいい」と背中を押されるのは説得力があります。このシーンを見て「ああ、僕の知ってるアニガサキだ…」と安心感を覚えましたね。

 

「この世界に、私は私しかいない。うまくできなくてもいい、私にしかできないことを」(侑)

 そして侑のこの言葉。これこそ虹ヶ咲の掲げる個の尊重を最大限端的に表現したものでしょう。このセリフ、聞きながら泣いちゃいました。

 

 唐突ですが人間は何のために生きているんでしょう?先人たちが哲学的・自然科学的なアプローチから様々な答えを出してきたものだと思いますが、僕は「満足するため」だと思っています。快楽主義に属する考え方なのでしょうか。

 アニガサキはこの問いに対し、僕と同じ立場を取っているものと捉えています。その上で、「満足」をするには何をすればよいか?という問いが生まれ、この問いの答えこそが自己実現に当たると考えています。終わることのない自己実現の欲求を充足させ続け、自分自身に満足し続けることこそが良い生き方であると言っている。

 アニガサキにおけるライブ――自己実現は自分に正直になった人間の姿です。それは、他者が定めた基準に適応するように「うそ」をついている自分ではなく、自分が真になりたい自分です。他者に依存せず、自分のやりたい気持ちだけが指針になる*3。つまり、自己実現という生きる意味を自ら創出できるのだと思います。

 生殖の結果、現象として生を受けた僕らにあらかじめ用意された意味なんてないと僕は考えています(それに対する考えが一般的にあることも理解しています)。そういう立場を取ったとき、他人の期待に応えたり、社会的に善とされる人間になることで自分の意味を獲得する手段もあるでしょう。しかし、そのような個性を潰した生き方をするよりも、繰り返し言うような自分が定めた目標へ走り自己実現を行うことの方が幸せなはずです。

 

 世界に一人しかいない自分が、その個性をもって自己実現を叶える。自分の生きる意味は自分で定める。だけど、自分の外側の視点を通して自分を見直すことで、新たに発見できる自分の価値があるかもしれない。これが僕から見た虹ヶ咲2期3話でした。

 

3. おわりに

 2期3話、特にED前の侑ちゃんの言葉が刺さりすぎて絶叫ですよね。

 人間は、自分がしたいことをするべきだと思うんです。意味もなく生まれ、社会からの要請にすり潰されるだけでは悲しいです。(他人に迷惑をかけない範囲で)自分が満足できる生き方を選択する。それが至高なんじゃないかなって。

 

 あとこれ。

 自分を他人の前に晒すとき、様々な自分が生まれると思います。その逆もまた然りで、他人から自分を見られたとき、観測者によって異なる姿に見えるでしょう。他者から見た自分すら様々な色を持ち、これらを受け入れ、新たな自分を発見し続けることが色の混合になるんじゃないかなって。そうして、侑ちゃんの色は虹色であり黒にもなるのかな、みたいな。ちょっと想像がいきすぎた見方ですけどね。

 

 あと、ユニットを組んだ結果について少し分かってなかったり。「ソロのときは自分のやりたい自分、一緒になると新しいことを自分を見つけることが出来る」。ユニット活動は自己実現そのものではなく、新しい自分を見つける活動、または新しい自分を表現する場なのでしょうか。自分の可能性を広げる活動?みたいな。最終的には答えを見つけたいですね。

 

 ボケーっとした彼方ちゃんの顔が好き

*1:社会で形成された「普通の女の子」像を演じる原因となった

*2:1期8話でいう白しずく

*3:2期3話で他者の目という概念が出てきましたが、今回のそれは他者が自分へ評価を下すものではありません。ただ、事実として他人からどう見えているかというものです

虹ヶ咲2期2話『重なる色』感想 - 虹ヶ咲は自由のアニメ?

 みなさんいかがお過ごしでしょうか?僕はワクチン接種をして、さっきまで頭ガンガン体温アチアチで辛い思いをしていました。今はこうしてPCを開いて文章を書けるくらいマシになったので感想文を書いているわけです。今を逃したら今週は3話までタイミングがないので…。

 

 タイトルに虹ヶ咲2期2話の感想と銘打ったものの、今回は少しアニメからずれた内容になります。

 

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1. 虹ヶ咲は自由のアニメ?

 アニメの本筋からズレてしまうと思うんですけど、2期2話を見ていて「やっぱり虹ヶ咲は自由のアニメだな~」なんて考えていました。ただ、それは条件付きの自由なのかな~と。条件がかけられているために、見る人間によっては2期2話が虹ヶ咲の思想の押し付けに感じてしまったり、今回の内容に引っかかりを覚える原因になっているのかなと推察しています。

 その条件とは「人は本来の姿で在らなければならない」になります。平たく言うと「本当の自分をさらけ出せ」。つまり…「あなたが本当にやりたいことをやるならば、アニガサキは自由であることを保証するよ」、みたいなニュアンスの話だったのかもしれないって読み方です。

 

 はっきり言ってしまうとランジュを"しつこく"同好会に誘ってみるエマを筆頭としたQU4RTZの面々ですが、絶対にランジュが加入することを望んでいるわけではないです。彼女たちが望んでいるのは、ランジュが抱く自分の気持ちを包み隠さない姿を表に出してほしいということ。その上で、同好会に加わるかどうかはランジュに委ねるというスタンスです。

 ランジュが本当の自分を出していないがために、彼女の本心を引き出そうと"強制力"が働いているのです。上に書いたことと対応させるなら、ランジュにソロ活動をする自由を保証していない。これが「思想の押し付け」に見えたんじゃないかな~って想像してます。いや、本心を隠すなっていう割りと強めの押し付けで間違いないのですが…。しかし、こういった条件付きで自由を認めるアニメってことを理解すれば、「じゃあこのアニメは自分向きじゃなかったんだな」とさっぱり割り切れると思うので結構重要じゃないかなと思います。

 

 僕はこの押しつけに肯定的なんですよね。じゃなきゃ、アニガサキのこと好きになることがないので当たり前ですが。やっぱり人が一番幸せになれるのって、自分が心からやりたいことをやってるときだと思っています。その「やりたいこと」が自分を隠すようなネガティブなものじゃなくて、100%ポジティブな、自分以外の要素を鑑みず純粋に自分が楽しめることをやっているときだと思うんです。アニガサキはそういう完全にポジティブなやりたい気持ちを引き出して、それを叶えるだけの自由な地盤を用意してくれるアニメです*1

 

 再度の確認ですが、このアニメは完全な自由を謳っているわけではありません。このアニメが持つ思想に従って人間が幸せな方向に向かえるような自由さ。それは、①自分を隠さず②他人に迷惑をかけない中での自由。こういった条件をかけてしまっている以上、反りが合わない人間が出てくるのは必然ですよね。っていう話でした。

 

2. この話が持つ説得力について

 僕がアニメに求める重要な要素の一つが説得力です。2期2話はこの説得力についても考えさせられる話だったんじゃないかなって思います。というのも、そこに疑問を抱いているフォロワーがいまして。言われてみればそうかも~なんて僕も思ったので、そこに答えられるような理由付けを行いたいってのが以下の文章の目的です。たぶんそのフォロワーはこの文章を読まないけれど、これは僕がアニガサキについて考えを巡らせるいいきっかけだと思ったので。

 

2.1 話の主導権を握るエマ

 率直に、今回の話を引っ張るのはエマ以外にいないのでは?って思いました。 1. で書いたその人の本心を引っ張り出すような"強制力"、これを無理なく行使できるのがエマしかいないのかもって話です。

 

 2期2話で、エマはランジュを同好会に誘い、また公園のシーンではランジュの本心を暴くような決心をします。同好会に誘う行為、これは現在ランジュが突き進んでいる道(同好会に属さない形のソロアイドル)を矯正し、曲げさせることに繋がるのでかなり危うい行動なんですよね*2

 これをエマに任せたのはエマのキャラクター性が根拠になると思います。1期5話で果林を同好会に誘ったり、果林の本心を暴こうとしたり、彼女がそういうキャラクター――強い言い方をすればそれが彼女の「やりたいこと」に含まれると既に1期で示せていたからこそ、今回のような危険な役回りをこなすことができたと考えています。言ってしまえばエゴですからね。一緒にスクールアイドルをやりたいっていう、他人の道を矯正させかねないエゴを出しても許されるだけの地盤を持っていたのがエマだった。

 そして重要なのが「無理に同好会に入ってほしいわけじゃないんだ」のセリフ。これがなかったら大変なことになっていましたね。1期2話の再現です*3。もしランジュが心の底から同好会に入ることを望んでいないのなら、それはしょうがないねってスタンスの表明なので、エマのエゴを出しつつランジュの自由を認める発言になるわけです。

 で、ランジュの本心を暴こうとする決心は、これそのものがアニガサキの思想と一致しているものなので危険な行為ではないです。ただ、やはり1期5話を想起させる展開なので、ここにエマをあてがったのは話の流れに妥当性を持たせることができたんじゃないかなって感じます。

 

2.2 エマに同調するQU4RTZ

 ランジュは本心を隠している、とエマが察するのには1期5話を見た僕らにとってそこまで不思議に感じる事柄ではないと思います。そういうのに敏感なのかな~とか、うまく補完できる部分なので。ただ、他の3人がそう思ったのはなぜなんでしょう?理由を推測すると

①ランジュのライブを見て違和感があった
②ランジュの姿がスクフェスの理念と対立しているため
③ランジュの言動に矛盾を感じた

あたりでしょうか。

 

 まず①、アニガサキにおいてライブは自己実現の場とか、自分を表現する場と位置づけられています。ランジュが本心を隠したままライブをすれば、そこに歪みが生じ、観客であった同好会に違和感を与える可能性が考えられますね。また、僕ら目線であればMVや歌詞を見ることで「なにかありそう」なのは明らかで、そこを劇中人物たちが汲めていればランジュが嘘をついていると推測できそうです。

 

 次に②。スクフェスを見てランジュは虹ヶ咲学園までやってきましたが、その姿はファンと共にあるスクフェスと対立します。そこに違和感を感じたという線。配信でどこまでスクフェスの様子を切り取られていたかっていう問題もありますが*4

 

 堅いのは③ですかね。僕自身も言語化できるわけじゃないですが、ランジュに夢中になるファンを見るのが好きな彼女がファンの支えをいらないとするのは、何となく変な感じがします。論理的な矛盾はないんですが、なんというか、なんというかな違和感です!QU4RTZもこんな程度の確信具合なのかもしれませんね。

 あと、頑なに同好会を拒むのも変な感じです。同好会は好きにスクールアイドルをやっていい場で、入ったからといってファンと目線の高さを合わせることを強要していないはずです。なぜそこまで拒絶するのか、まあ何かバックグラウンドがあるんだろうなっていう。初めは同好会に入るつもりで来たはずなのにね。

 

 なんともフワフワした話で申し訳ないですが、これらが3話ないしその後の話で明らかになるのが楽しみですね。

 

3. おわりに

 彼方ちゃんの可愛い系・おじさん系の発言が可愛かったとか、アイスが溶けるからカロリー0なエマちゃんとか、滑り台を滑る璃奈ちゃんとか、ワンダーランドを築けたかすみんとか、萌え豚的にも色々あった2話でした。

 ユニットをあまりやってほしくなかったのが本音ですが、やっぱり納得させられる形でお出しされちゃいましたね。正直今回のQU4RTZはかなり熱かったです。A・ZU・NAとDiverDivaがどうなるんだろ~って緊張ですね。

 相変わらず音楽科で難儀する侑ちゃんとか、新しく文化祭について言及があったりとか、縦軸の話についてもどんどん種まきが行われていますね。予想をしようとすると何でも言えすぎて収集つかないので今回はやめておきますが。

 

 また、前回の記事で言及したランジュとファンの距離感についても早ければ来週には扱われそうなので楽しみです。

 依然としてバックグラウンドが明らかにならないランジュですが、どうしても自由にやりたい姿勢や、ファンの支えを求めない姿の理由について早く知りたいですね。今のところ、周囲からの期待っていう檻に閉じ込められてきた彼女がやりたいことをやって観客を満足させる(認めさせる)ことで彼女自身を証明したいのかな、ぐらいに考えていますが。

 いずれにせよ、まだまだこのアニメを楽しんでいきましょ~って感じです。

 

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 さすがにここの画作りがよすぎた

*1:ただし、他人に迷惑をかけることは許されていません。この考えは、アニメ本体からではなく、オフィシャルブックから引用していて少しズルいのですが

*2:同好会に属さない自由をアニガサキは否定していないので、そこに反する

*3:同好会に入りたくないランジュと、同好会に入ってほしいエマの衝突になる

*4:ステージ上だけだったのか、ファンと楽しんでるところまで配信されていたのか

虹ヶ咲2期1話『新しいトキメキ』感想 - 二項対立が提示された1話

 早いようで、実際早かった虹ヶ咲2期1話が放送されましたね。2期でやっていく様々な問題を提示してきたとは感じましたが、それらがどういう展開をしていくのかが全く分かりませんでした。何も分からないアニメを見てるときが一番幸せ。

ro-puru.hatenablog.com

 2期放送前夜に投稿した予想記事も全く見当外れなものになりそうでもうワクワクしっぱなしです*1

 

 ツイートに付けたタグ#新しいトキメキは虹ヶ咲単話感想タグで、以下に掲載するツイートのルールに則っています。僕はまだ見られていませんが、このタグで検索すれば色々な人の感想が読めると思います。

 

 では、本題に入ります。予想記事では階段を一歩ずつ登っていくように、破綻のなさそうな展開を書くように心がけていましたが、単話感想はとりあえず思ったことを書くフリースタイルでいきます。

 

 


1. いくつかの二項対立が提示された1話

 2期1話の感想は本当に「分からなかった」へ集約されてしまうのですが、それで終わっていてはせっかくリアルタイムで視聴しているのにもったいないですよね。考えられそうなことを些細なことでもいいから考えてみましょう。

 1期の例を見れば2期1話はこれからやっていく問題を提起していると読むことができます。実際に、既存の同好会と対立する考えが複数登場しています。

①一人一人のファンを大切にする同好会 ↔ ファンを自分色に染め上げる対象として見るランジュ
②応援する侑、される同好会 ↔ 一人でやっていくランジュ
③やりたいこと ↔ 適正があること

これらがどう折り合いを付けていくのかが2期になるのでしょうか。

 2期1話時点ではR3BIRTHの3人がどういう人物造形になるのか分からない部分もあったので、スクスタの方から補完をして書いています。

 

1.1  一人一人のファンを大切にする同好会 ↔ ファンを自分色に染め上げる対象として見るランジュ

 まだ劇中でも言及されていなくて弱いラインですが、ここも1つ同好会とランジュのライバル関係の原因にあるかもしれません。

 まず同好会。1期のスクフェスでファン一人一人の要望を聞いて、それら全てを叶える姿勢をとった同好会という見方は改めなくて大丈夫だと思います。後者についてはまだ何とも分からないものの、自分中心にファンと一線を引いてスクールアイドルをやろうとしているようです。

 ファンを個人の集合と捉えた同好会と、染め上げる1つの集団として見ているランジュみたいな対立構造が生まれたりするのかな。変に難しく考えず、単純にファンを大切にしているか否かの話かもしれません。

 ランジュがファンをどのように捉えているのかは未だ分からずですが、彼女が言っていた「トキメキを与えるだけでいい」。これは、1期でスクールアイドルがファンにトキメキを与え、応援する存在だと言っていたのと差異があります。ファン ⇨ スクールアイドル 方向の矢印に否定的なのは明らかですが、 スクールアイドル ⇨ ファン の矢印も同好会とは違ったスタンスを持っていそうです。

 

 ファンに対するスタンスの違いが応援される同好会か、一人のランジュかに繋がっているのでしょうか。そもそも、ランジュは基本的に完璧な人間なのでファンの応援を必要としない面もありますが。

 

 

 

 中国語が分からないので、Twitter耳コピ歌詞を上げている方のものを参考にしました。いや、インターネットってすごいですね…。

1.2 応援する侑、される同好会 ↔ 一人でやっていくランジュ

 ランジュは個として完成されているから他人を必要としないのもそうですが、自分のやりたいことをやって、表現できればそれでいいのかもしれません。彼女は同好会というより、そういったことを出来る場であるスクフェスに憧れて日本までやってきました。言ってしまえば、スクールアイドルすらスクフェスに出るための手段程度にしか考えていないかもしれません*2。自分に絶対の自信があるからこそ観客からのフィードバックを必要としていないのでしょうか。

 それならば今後のことを考えやすいです。彼女が真にスクールアイドルになるまでの過程が描かれるでしょう。これが描かれるとすれば、ランジュがまだ同好会に入れないけど、将来メンバーの一員に迎えられることに不自然さはありません*3。なぜなら、彼女はまだスクールアイドルではないから。侑がときめかなかったのもここに原因があると見ることもできます。

 ただ、個人的にランジュの在り方も魅力的で、否定されてほしくないものです*4。アニガサキのような全てを包み込むアニメが今のランジュを否定するかは分かりませんが、少なからず意識の変革を求めるのではと思っています。ランジュが今のスタンスを捨て、同好会が持つスクールアイドルの思想に身を染めるかどうかも気になるポイントですね。

 

1.3 やりたいこと ↔ 適正があること

 栞子に関してはまだほとんど人物像が開示されていないので、スクスタを参考にします。それで、彼女の最たる特徴と言えば「その人の適正を重んじる」になるでしょう。

 栞子はスクフェスの話を聞いて「みんなの夢を叶える場所、素晴らしい理念だと思います」と同調しているように見えますが、同好会と見事にぶつかっていますよね。やりたいことを叶える同好会流か、適正を見抜き適切なアドバイスを与えることで導く栞子流か。スクスタの情報を拾っているから、あちらと話の流れが重複するような想像ばかりしてしまいますね。

 

 栞子に関して言えば、せつ菜も気になりますよね。さっそく2期1話では同好会と生徒会でやりたいことが中途半端になっている様子が描写されていました。やりたいことが2つある人物として侑と重なる部分があるので、1期のように終盤で侑をリードする存在になるかもしれません。

 

2. Eutopia

www.youtube.com

 ランジュの凄さを印象付けるシーンとして見入ってしまいました。ライブ前の緊張感のある劇伴もそうだし、口上も何言ってるか分からないけどかっこいいし、曲もいいし、MVもかっこかわいい。

 世界がライブステージに変容していくところ、めちゃくちゃかっこよくないですか?観客の見ている世界を強制的に自分色にしていく力強さを感じます。

 

2.1 目につくのは鳥かご

 さて、今回のモチーフはなんでしょう。Dream with Youが不思議の国のアリスだったようにEutopiaもまた何かあるのでしょうか。

 目につくのは鳥かご・電車・水槽と自分を閉じ込める、あるいは規定するものです。ランジュ自身が鳥かごに入っていたり、鳥かごに囲まれていたり示唆的です。ランジュが閉じ込められているのは、素直に見れば自分を縛ってきた環境や、色のついていない大人たちなど、暗い過去を連想させます。

 また、檻に囚われず自由に泳ぐ魚や、宙を泳ぐ魚も気になりポイントです。

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 対して彼女を囲む鳥かごはなんでしょう?ランジュにとっては自分以外の人間が縛られているように見えるのでしょうか。もしかしたら同好会のことをそう捉えているのかもしれませんね。互いが互いを応援しあい、依存し会う関係は、一人で生きているランジュにとって不自由に映っても不思議ではありません。

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 それで、上に載せた有志の耳コピ歌詞を読んで思ったのは、やっぱりランジュは"一人"というより"孤独"な印象を受けます。「孤城」なんて言葉を使っているんだから、ランジュが孤独な人間で、これからいい方向(同好会に属する)へ向かっていくんだろうと考えてしまいますよね。もしかしたら、鳥かごもランジュの孤独さを象徴しているのかもしれません。

 核心的なところは何も分かりませんが、今後これらの暗喩に込められた意味が明らかになっていくことを考えると楽しみですね。

 

2.2 荒唐無稽な話をしよう

 Eutopiaについて続きです。上に書いたことを一回忘れてください。関係ない話になります。

 

 そもそもEutopiaってなんでしょう。ユートピアと聞いて真っ先に連想されるのは牧歌的な雰囲気を持つ楽園です。しかし、自分が持っている知識だけを信じるのは足元がおぼつかないので、Wikipediaでもいいから調べてみましょう。

ja.wikipedia.org

 これを読んで驚いたのは、ユートピアが政治的な文脈から生まれた言葉ってことです。以前にも何かで聞いた気もしますが、すっかり忘れて今回新たに知った事柄です。もっと読んでみると

・現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会

eu- (良い)と言う接頭語もかけて「素晴らしく良い場所であるがどこにもない場所」を意味するものであったとみられている

・「ユートピア」には格差がない代わりに人間の個性を否定した非人間的な管理社会の色彩が強く、決して自由主義的・牧歌的な理想郷(アルカディア)ではない

などなど、気になることがたくさん書いてありますね。

 

 ランジュがそのパワーで観客を強制的に染め上げるのだとしたら、管理社会という言葉も当てはまりますね*5。そこには観客の個性も何もない。ファンを個人の集合として見ない(大切にしない)姿勢の現れ。他人が全て同じに見えているのもそのせい?

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 ランジュが作りあげる自分色に染まった最高のステージ。これこそ「素晴らしく良い場所であるがどこにもない場所」を指しているのかもしれない。

 対になる概念としてアルカディアも挙げられていて、あえて「ユートピア」を選んだ意味もありそう。もうめちゃくちゃ言っちゃうと、スクフェスこそがアルカディアなのかも。

 それと、中国の風水では鳥かごって幸運を呼ぶアイテムらしいです。ランジュの鳥かご――ステージの中で幸せに管理されなさい(夢中になりなさい)っていう暗喩なのかも?

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 などと、①ランジュが観客を染め上げようとしている②ランジュが観客を大切にしていない③Eutopiaの命名者について無視している 等々の早計な決めつけや、雑な話運びであるものの、2期1話時点で抱いた正直なイメージなのでここに残しておきます。

 

(4/4追記)

 同好会とランジュの違いについて考えていたら、単純に目線の高さが違うことに気づきました。同好会とファンは常に同じ高さの目線にいますが、ランジュはEutopiaの歌詞を見ると常に高みからファンへトキメキを与える立場にいます。高みにいるランジュにはファンのことなど見えず、没個性で一様な集団に過ぎません。

 高い場所からトキメキを与えて夢中にさせるライブ――これがランジュを取り囲む鳥かごなのかもしれません。「私がトキメキをあげるからそれに酔いしれなさい」と言わんばかりな彼女の言動とEutopiaですが、これこそが鳥かご。ランジュの支配する(管理された)ユートピアの中で幸せになりなさいというメッセージ。

3. 侑のこと

 侑とぶつかるキャラクターとしてランジュが出てきたのは面白いですよね。スクールアイドルをやりたいと思ったから海を超えてきたランジュが、真剣に夢を追い求めることを説くのは説得力があります。しかし侑は同好会で夢を叶えたいと欲張りにも聞こえる回答をする。

 どちらかが正しいと証明されるのか、それとも両者の考えが変化するのか。はたまたどちらの道も肯定するやり方をするのか。私は以前書いた予想のように、やりたい気持ちを否定しないアニガサキなら侑は同好会も夢も両立させてしまうんじゃないかと思います。ただ、現時点で赤点をとっている侑に説得力がないのが問題で…。あとあのシーン、ノベルゲームで選択肢を間違えたときのような妙に引っかかる雰囲気を醸し出していたのも気になります。気のせいでしょうか?

 いずれにしても、1期と話の構造が同じなら1話のこのシーンは終盤の答えになっているはずです。それがどういう形での回収になるのか、注目ポイントです。

 

 個人的にはランジュの在り方さえも正解の1つだという着地が見てみたいかもしれないです。自らのやりたいことをやる、同好会という入れ物は無限に広い懐を持っていて、どんなスクールアイドルだって受け入れられるんだから。

 

 今回提示されたのはスクールアイドルとファンの関係性について再度問うお話だということだと思います。スクールアイドルは本当にファンから応援される存在なのか?夢を与えるだけの存在なのか?トキメキを与えられ、夢を見つけたファンはどうするべきか?どんな回答が下されるのか気になるものばかりですね。

4. 夢が僕らの太陽さ

 この曲、最終話の後に聴いたらめちゃくちゃ泣いちゃうんじゃないでしょうか。

 ED映像は今期もめばちさんによる素晴らしいイラストの数々で、気になるところが多いです。

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 芽吹いた種に水をあげるスクールアイドルたち。トキメキを与える行為が種をまくことに当たり、水をあげることが応援することに当たるのでしょうか。花を咲かせるのに必要なのは、スクールアイドルの応援と夢そのもの、みたいな…?水をあげる際に虹がかかっているのも示唆的なように感じます。

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 別々の方を侑と同好会。何となく思うのは、2期は侑が同好会から独り立ちするお話なのでしょうか。上に書いたこととまるっきり矛盾しますが。個人的に、両者がお別れをして、Hurray Hurrayで刺されたいって欲望が少なからず存在します。

 ただ、侑と同好会がお別れするまでのロジックが分からないです。上述した「同好会も続ける・夢も追い続ける」、この結末なら「やりたい気持ちを否定しない・支えあえる仲間がいる」あたりから説得力を持たせられるんですけど。キャパシティを超えてどちらかを選ばざるを得ないようなネガティブな状況しか想像できません。う~~~~ん、考えることが多すぎて本当に楽しいです、今。

 

5. おわりに

 2期1話、本当に分かんね~~~って思いながらも気になる点を書いてきました。自分でも線が繋がってないことを言っている自覚があります。でも、こうやって1話ごとに与えられる情報から色々考えることこそがリアルタイム視聴の楽しみです。暇があったら毎週こういうのアウトプットしたいな。

 侑と同好会、あとランジュにミアと栞子も。それぞれがどんな道を辿っていくのか楽しみでしょうがありません。またこうやってアニガサキに狂える3ヶ月が始まった。それを実感できる2期1話でした。

 

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 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会"性"担当の鐘嵐珠です。

*1:むしろ自分の立てた予想が当たってたためし無し

*2:このように自由を追い求める姿は、MVの鳥かごと相まって何かありそうだと勘ぐってしまいます

*3:メタ的に同好会入りすると見ています

*4:なんなら、同好会に入らず一人のスクールアイドルとして活動していったっていい

*5:書いていてあれだけど、ランジュからそこまで押し付けのようなものを感じないのは、そう

【タグ企画】虹ヶ咲2期はどんな話になるだろう

 日に日に暖かい季節に近づいてくるのを感じられるこの頃。僕は春生まれだからか、妙に湿度の高いぬるい風が吹くこの季節のことが好きです。お散歩したり、お花見をしたり、外に出るのに気持ちがいい天気の日が多いので色々したくなりますね。

 さて、このブログが投稿される予定の4月1日はTVアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」2期の放送前日に当たります。それに伴って、TwitterでFFの関係にある【ぎぬま*(@NEXT_Ginuma)】さんがタグ企画【#明日へ夢を繋ごう】を主催されるというので、それに参加するべくブログを開いた次第です。

 

詳細↓

 

 お題は何でもいいということなので、今回はタイトルにもあるように「アニガサキ2期でありそうなことを予想してみよう」ということになります。今後の物語を想像するのって、実際に目にする前の今しかできない楽しさですし、何より僕自身がこういう今後の展開予想みたいなのが大好きなので、ブログとしてまとまった文章にしてみようっていう記事です。

 

ro-puru.hatenablog.com

 今回もこの記事の内容に則って文章を綴っていきます。これはアニガサキ1期を僕がどのように見ていたかをまとめたもので、当然この延長線上に2期があると考えています。今から僕が立てていく予想は、この記事が元にあるということを先に述べておきます。加えて、当記事ではスクスタ2ndシーズンの内容についても触れています。

 

 


1. アニメ1期の延長線上にある2期

 では大筋について考えてみます。「個人回を13人分やるのかな?」とか、「部は設立されるのかな?」というような手法の話ではなく、何が描かれるかについてです。

1.1 1期振り返り

 1期を振り返ってみましょう。1期ではコンテンツとしての虹ヶ咲の根底にある個の尊重、そのために発生した衝動の肯定があり、異なる色の衝動が衝突したがゆえまとまることのできなかった同好会がソロアイドルの決断を下します。そして、ソロアイドルの行き着く先は自己実現。これは、スクールアイドルを通して自分のやりたいことをやっていくからこその帰結。その際に他人との衝突とか*1、自分の能力や置かれた環境*2はやりたいことを止める理由にはならないとも言っていました。また、他人との関わり方*3や、スクールアイドルそのものの在り方*4についてなど、自分の内側についてを12話かけて描ききりました*5

 僕はアニガサキ1期は12話でいったんお話として完結したと思っています。1話~12話で自分の中に芽生えたトキメキについて扱っており、それは12話までで十分にやりきったと感じたからです。実際に、13話では物語は自分の外側へ向かい、ファンを応援する存在としてのスクールアイドルについてがメインに据えられます。「自分の話は終わったから、今度は他人の話をやろう」、ぐらいに捉えて問題ないはず。

 

 で、上述したことはスクールアイドルの視点から見た1期です。12話でいったん完結したように見えたのもスクールアイドルのお話についてです。しかし、実際にこのアニメの主人公と言えるのは高咲侑。このアニメは、スクールアイドルからトキメキを与えられ、応援される存在――ファンの物語です。

 

 前置きが長くなりました。ということで、2期でやることは間違いなくファン側の物語です*6。1期でスクールアイドルたちが自らのやりたいことを見つけ*7、困難に直面し、問題解決を図って自己実現へ一歩踏み出したように、ファンもまたそのプロセスを経ていくでしょう。

 ここで、2期におけるファンとは一般名詞的な「ファン」*8という存在ではなく、「高咲侑」個人です。当たり前でしょ、と思うかも知れませんが、1期で高咲侑は総体としてのファンを一般化して人格を与えられた個人として、僕らファンが作品へ擬似的に参加できるような媒体の性質が強かったと思います。スクールアイドルを誰でも受け入れ、応援するような理想のファン。侑周りのエピソードは普遍的なスクールアイドルとファンの関係性が描かれていました。13話の夢がここからはじまるよの前にある口上なんかは顕著です。あれは、同好会が侑個人へ向けたメッセージでもありますが、スクールアイドルがファンへお返しするという一般性のあるメッセージも込められています。

 しかし、同時に高咲侑は個人としての性格も獲得していきます。10話~13話にかけて、スクールアイドルから受け取ったトキメキを元に、彼女が自分の夢を見つけ出したことを提示しました。ここで、高咲侑というキャラクターはファンを一般化した存在ではなく、「高咲侑」個人として結像したことが示されています。1期のメッセージとして、スクールアイドルからトキメキを与えられたファンは何を始めてもいい・やりたいことへ向かって走っていけ等々の主張がありますが、このやりたいことに「音楽の道」という夢が代入されたわけです。これによってスクールアイドルとファンの関係という普遍的な物語ではなくなり、2期は同好会と高咲侑という特殊解的な関係性に焦点が当てられることになります。1期終盤では「スクールアイドルとファン」と「同好会と高咲侑」の普遍的な物語と特殊解的な物語がうまく重なり合って展開されていましたが、ここから進んだ物語を提示するなら後者に焦点を絞る他ありません。「スクールアイドルからトキメキを受け取ったファンの物語~音楽の道(高咲侑)の場合~」といった具合でしょうか。よって、2期でやることはファン側の物語の特殊解――「夢を見出した高咲侑の物語」になるのでしょう。

 丁寧に文章を書いてきましたけど、1期を見た人ならば改めて確認することでもなかったかもしれませんね。2期PVを見ても強い確信を持って、「侑の話をやるんだろうな」っていう想像はすると思うので。

www.youtube.com

 あとこれは少しずるいですけど、先日発売されたOFFICIAL BOOKを読んでも侑が「高咲侑」という一人の人物になったことが明確に書かれていましたね。

 

1.2 2期について想像

 では、2期で侑の話をやるならどんな物語になるんだろう?ということですが、PVから読み取れる範囲で予想してみましょう。PVを見て、訪れるイベントとしてあるのは

スクフェスを見て来日を決めたランジュ
②音楽科と同好会の両立が困難な侑
→これによって何らかの選択を迫られる
③侑を応援する同好会

あたりでしょうか。

 

スクフェスを見て来日を決めたランジュ

 スクスタでは部を設立し、遠回りをしながら同好会へと収まったランジュですが、アニメではスルッと入ってくるんじゃないかな。PVからトゲトゲしい印象を受けませんでしたし、それよりも侑を導く存在としているような質感さえあります。あとメタ的にそういうゴタゴタに割く時間的リソースが足りないだろってのも。

 ランジュの同好会加入は非常に意味のあることです。侑を含む同好会メンバーの多くは、スクールアイドルによってトキメキを与えられ現在の姿になりました。スクールアイドルになったり、スクフェス運営に回った侑であったり。そんな同好会が開催するスクフェスに触発され、新たなスクールアイドルが誕生することはトキメキは連鎖していくものだというメッセージが込められます。せつ菜の「大好きを叫ぶ」行為が侑にトキメキを届け、さらに侑がスクフェスを通じてトキメキを響かせるかのような。他に、侑が弾くピアノ、または作った曲を聴いた誰かの中に新しいトキメキが生まれるというのも面白い展開だと思います。

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 そこで、侑の夢の1つとして考えられるのが、スクフェスまたは自分の音楽を通してさらにスクールアイドルという存在を、トキメキを広めるというものでしょう。これはスクールアイドルを応援したいという当初の目的の延長線上にある夢のように感じます。しかし、誰かに夢を与えること・夢を応援することはアニガサキにおいてスクールアイドルの役割として与えられています。

 

 そこで、ここから踏み込んだ予想するに当たって拾っておきたい事柄は、スクスタのあなたちゃんが選んだ道についてです。彼女はトキメキの向かう先としてファンそのものを貫くことを選びます。また、そのファン活動すらもスクールアイドルであるという解釈を生んで。

 もしかしたら、アニメでは誰かを応援し続ける道もまたスクールアイドル活動であるという着地をするかもしれません。スクスタの着地点と似た言い回しになるものの、少しだけ差異があります。上記の場合、スクスタと同様にスクールアイドルの概念は拡張されますが、「トキメキに向かって全力で走る、加えて誰かを応援する姿勢こそがスクールアイドルという生き方である」まで言及されるでしょう*9。これはスクスタよりも少し広い拡張だと思います。スクスタでは「誰かを応援する」の誰か部分に(確か)スクールアイドルのみを代入して、ファン活動すらもスクールアイドルと言っていましたが、上に書いたことに従うと、ここにはスクールアイドル以外の者でも入れることができます。つまり、応援する対象は選ばない。そうなれば狭義のスクールアイドル*10ではない侑が誰かを応援し続けることに矛盾が生じません。

 

 少し込み入った話になってしまいました。言いたいことは「トキメキに向かって全力で走る・誰かを応援する姿勢こそがスクールアイドルという生き方である」という考えが発生するかもしれないってことだけです。

 正直かなり大穴の展開妄想ですが、予想の1つとしてここに記しておきます。

 

②音楽科と同好会の両立が困難な侑

 侑が音楽科と同好会の両立に難儀する様子はPVにありますね。ここで、同好会での活動の具体的な内容が①で書いた「誰かを応援する」になるでしょう。夢を見つけるために誰かを応援することを始めたが、途中で自分の夢を見つけ、どちらかの道を選択するよう迫られる。

 ここで自分の適正とか、能力とかいったものが引き合いに出されるのでしょう。前者については栞子が、後者についてはランジュが絡んでくるかもしれません。能力という面でランジュは万能な存在として描かれているので、なんとなくそういう話をやりそうだなーっていう根拠に乏しい想像ですが。侑との対比というか。

 そうするとかなり地に足ついた話運びですよね。自分のキャパシティを超えた夢を抱えたときどうするか?という。PVを素直に見るなら、侑は音楽の道を選択し同好会を離れるが、それでも同好会のみんなと気持ちは一緒だよっていう 歩夢 ⇨ 侑 方向にローダンセのリフレインが行われるのが妥当でしょう。ただ、これはミスリードだろうなっていうのが僕の予想です。虹ヶ咲はそういうシビアなアニメではなく、やりたい気持ちを否定しないアニメです。なので、最終的には音楽科と同好会の両立を可能にして物語は幕を閉じるでしょう。しかし、肝心なのはそこまでの道のりです。どういう理屈でその結論に至るのか、ここが2期を見る上でのポイントで間違いないはずです。やり方によっては月並みに終わってしまいそうですが、ここで捻ってくるのがこのアニメです。その方法は具体的に想像できませんが、アニガサキに絶大な信頼を置いているので、どんな風に話が動いていくんだろうというのはもう楽しみですね。

 

 ただ、このアニメは仲間の存在、手を取り合う存在、背中を押してくれる存在を重要視しています。よって、同好会のみんなの助けが足がかりになるだろうということで、そこでは1期でスクールアイドルたちが得た結果を用いて侑の歩みをアシストしていくかもしれません。その結果というのを列挙すると

歩夢:夢が違っても気持ちは同じ、応援する。動き出したら止めちゃいけない、我慢しちゃいけない
かすみ:人それぞれ個性がある
せつ菜:自分の心に鍵をかけてはいけない。誰かの「大好き」を応援したい彼女自身の性格
愛:自分が楽しいと思えることをやればいい
エマ:今しかできないことを迷わずにやる。やりたいと思ったときから始まっている
璃奈:目的を達成する能力がなくとも問題はないし、できることでカバーすればよい(諦めてはいけない)
彼方:自分の置かれた環境が厳しければ他人に頼ってもよい
しずく:やりたいことが2つあるなら、どちらかを選択しなくてもよい
果林:ライバルだけど仲間!

 侑のアシストに役立ちそうなものを恣意的に選んで並べました。ここらへんを個人回でうまくやっていく感じになるのかな…。やっぱり、ファンを応援するスクールアイドルとして、彼女らが持つそれぞれの個性を活かしたアドバイスとかされていったら嬉しいですよね。

 

③侑を応援する同好会

 ②について書いていたら気づかぬ内に③についても言及してしまっていましたね。同好会はやはり侑を応援して、侑が望む未来を実現させるのでしょう。同好会を音楽科と両立させたとき、①に書いたスクールアイドル概念の拡張まで言及するかはやはり分かりませんが。

 

 さて、本当に長々と書きましたがこれらは短くまとめられますね。どうしてそういう風に考えたの?っていう部分を書いていたら、まあまあな分量になってしまいました。これまで書いてきたことで僕が言いたかったのは、

2期では侑の物語をやるでしょう。
それは、音楽科と同好会を両立させられるまでの道のり。
それにはきっと同好会の助力があるでしょう。

といった具合です。いや、これを書くだけで本当に文字数を費やしすぎたな…。

かなり凡庸な内容になってしまってちょっと悲しい。

 

2. 細かいこととか

 おまけです。細々した予想を書いていきます。

2.1 新規加入3人もいるのに個人回を全員分やっていくのか?

 これはユニットを組んでやっていくのが妥当なのかなあ…と思っています。バラバラな方角を向いたみんながそれぞれ走っていくっていうコンセプトが虹ヶ咲の好きな部分なのであんまりやってほしくないなってのが正直なところですが。でも、もう1周個人回をやってライブを披露するのは退屈なのではないかとか。尺の問題もそう。

 恐らく、侑の縦軸の物語と並行する形で新規3人の縦軸の物語も順々に展開され、同時にユニットの横軸のお話も進めるみたいな、かなり複雑な話になるんじゃないかな。でもやっぱり12人全員のMVを見てみたいな…。

 公開されているシングル情報について考えると、1枚2曲で発売されるようですね。たぶん1期のようなジャケット差分で枚数を売る形から、曲数を細切れにしてリリース枚数を稼ぐ感じなのかな。そうするとジャケットの裏表で2キャラ描いて12人分6枚+全体曲のCDも出るみたいな可能性もあるけど。う~ん、これだと嬉しいな。やっぱりユニットは組んでほしくない。

 スクールアイドルの気持ちが1つになったとき複数人で歌えるようなので、やってることは夢がここからはじまるよとはそう変わらないんですが。それでも、アニメ虹ヶ咲っていう作品の根底にある「ファンを応援するスクールアイドル」を体現するときに気持ちが1つになって複数人曲を歌えるというのが美しいと思います。本当にどうなるんだろうね!

2.2 TVアニメ1期スペシャルPVのあの言葉

 「超えたい、私を。」「超えたい、あなたと。」についてです。

 アニガサキを自己実現の物語と捉えたとき、この言葉はスッと飲み込めます。自己実現というのは永久に達成されるものではなく、生きていく限り自分の求める自分像を追っていくことです。ならば、同好会のみんなが今の自分をさらに超えたいと思っているのは当然でしょう。何か新しい目標を見つけるなり、問題が発生するなり色々あるでしょうが。

 そして、2期においてこの言葉は侑から発せられるものだと考えています。スクールアイドルの方は1期で既に1回自分を乗り越えているので再びそれに注目する理由は薄いでしょう。そして、1期13話で自分の夢への歩みを始められた侑もまた自分を超えていく必要があります。1期とは対照的にスクールアイドルではなくファンの側がこの困難に直面するので、展開が差別化されます。しかも、自己実現にあたって応援してくれるスクールアイドルがいる。これが、あなたと。の部分になるはずです。もちろん、スクールアイドル側がファンと共に歩んでいきたいという意味も込められていると思います。困ったときは仲間がいる、夢の向かう先は異なっても助け合える。互いを応援し合うアニガサキらしいキャッチフレーズですよね。

 

3. おわりに

 2期番宣PV、1期スペシャルPVから想像を巡らせましたが、現在僕が考えている2期像はこんな形になります。あまり具体的な話をできず、抽象的な部分を予想するに留まってしまいましたが、こんな感じです。もういよいよ明日の晩から2期が始まります。ドキドキしますね。予想というのは1話見るたびにリアルタイムで更新されていくものです。毎週最新話を見るたびに今後の展開が具体的な形として予想できるようになっていくでしょう。13週間存分に先の展開を考えて悶々としながら一度しかないアニガサキ2期の放送期間を楽しみましょう!

 

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萌え萌えな侑ちゃんをたくさん見られたら嬉しいね!!!!!!!!!!

*1:2話

*2:6話, 7話

*3:全体を通したテーマだが、強いて言うならば9話

*4:12話

*5:上に貼った記事でいうと1章の内容に当たります

*6:侑が一歩を踏み出して終わる1期13話は2期0話とも言える立ち位置だと思います

*7:4話が分かりやすい例

*8:虹ヶ咲が言うところの「あなた」

*9:その結果、見た人にトキメキを与えるのかもしれない

*10:ステージで歌って踊る存在